国家と宗教なんて話

2026年4月23日 高野育郎 - グループアム代表 -
共産主義国、社会主義国は自由な宗教活動を禁じている国家が多い。日本においては、宗教の選択は元よりカルトとされるような宗教法人であっても信教の自由を盾に野放図に放置されていた。そして、国民が被害者となるケースもままある。もともと宗教は教義によって人間に指針を与えたり、社会規範の中で生きるすべを示すことで、社会活動を円滑に進めるために活用されてきた。歴史的に見ても、戦争などの愚行も多々あるが、概ね、為政者から見ると、為政を行う際に、宗教と手を携えて、統治を行う場合に円滑な国家マネージメントの道具として利用されてきた。

どの宗教も殺すな、盗むななどの社会規範を説くことが多く、社会生活の潤滑剤となってきた。民主国家においては、多様な思想、考え方が、その国家の成熟度を表すことになる。
ところが、宗教が厄介な部分も当然出てくる。宗教において真理、教義が絶対、唯一無二のものである場合、その意見が国家における大多数になった場合、あるいはその考え方に武力が伴った場合には、いわゆる宗教国家となる。それでも国民が納得して、大多数の国民が幸福であろうと思われるのはサウジアラビアなど。不幸を招いているのは、イランなどであろう。ではなぜ、共産主義、国家、社会主義国家が宗教を抑制する方向にあるのかと言えば、共産主義国家や社会主義国家は、異性者側が絶対的権力を持つことを前提として成り立っているからである。

よって異論を唱えるものは、反体制主義者であり、反逆者となる。これを突き詰めるとスターリン、トロツキーの対立などのように、為政者側の内部において意見対立が起きた場合に彼ら特有の殺し合いが始まる。トロツキーはメキシコまで終われ殺害された。現在の例で言うと、ロシアのプーチンとロシア正教の関係性が挙げられる。ロシア正教はソ連の時代は迫害を受け続けていたが、ソ連の崩壊とともにプーチンとロシア正教はあゆみより、プーチンはロシア正教との間において表面上良い関係を築いている。この良好な関係が続く限りはお互いを利用し合うことで、プーチンは政治運営を行っていくこととなる。為政者にとって、宗教は毒にも薬にもなることから、国民を掌握するためのただの道具となるのであろう。
pagetop