イランの紛争と宗教。誰が核のボタンを押すのか
2026年4月16日
高野育郎 - グループアム代表 -
中近東においてイスラエル、米国、イランで事実上の戦争が起きている。巷間言われるのがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の宗教紛争との捉え方である。大雑把であるが、ゾロアスター教を根源として旧約聖書があり、そこから分化してそれぞれの宗教が生まれている。今回、よく話題に登るのが、キリスト教のカトリック系の福音派、イスラム教のシーア派であろう。それぞれの宗教に共通しているのがアポカリプス論である。
アポカリプス論はいわゆる終末論。
ユダヤ教の場合、終末を迎えるとメシアが降臨し平和が訪れるとされる。キリスト教においては、ヨハネの黙示録にある終末を迎えると1000年王国、キリストの降臨、最後の審判となる。イスラム教においては、週末を迎えるとアッラーが降臨し、すべての死者は復活し、審判の日を迎えるとの教義がある。
それぞれの教義は似たり寄ったりなどと言うと、いろいろな方面からお叱りを受けると思うが、八百万の神に囲まれている日本人から見ると、そのような感覚である。
ところが、このよく似た終末論において非常に注目されている点、懸念されていることがある。仮にイスラエル、米国、イランの中に終末を迎えることを望んでいる国、あるいは者がいた場合、この戦争がいかなる展開をしていくのか。
いずれの教義においても、終末を迎えた後には、メシアなり、キリストなり、アッラーなりが降臨し、安寧な平和が訪れると信じていることである。
現世利益を求める我々、仏教徒としては、ちょっと待ってくれということである。何を信じようが自由であるが、人類が何回も滅びるほどの核弾頭がある。現代。終末を迎えることで、人間の精神が解放され、平和になるなんてことを信じて核のスイッチを押す。
そんなバカがいようものなら世界は目も当てられない。
この戦争が拡大するようなことがあれば、米国のプラグマティズムの権化である。トランプがその選択をする事はなかろうが、大統領職を追われれば即、監獄行きが決まっているような御仁が本当に核のボタンを握っている。
あな恐ろしや、ここから先は、それこそ神のみぞ知るである。
アポカリプス論はいわゆる終末論。
ユダヤ教の場合、終末を迎えるとメシアが降臨し平和が訪れるとされる。キリスト教においては、ヨハネの黙示録にある終末を迎えると1000年王国、キリストの降臨、最後の審判となる。イスラム教においては、週末を迎えるとアッラーが降臨し、すべての死者は復活し、審判の日を迎えるとの教義がある。
それぞれの教義は似たり寄ったりなどと言うと、いろいろな方面からお叱りを受けると思うが、八百万の神に囲まれている日本人から見ると、そのような感覚である。
ところが、このよく似た終末論において非常に注目されている点、懸念されていることがある。仮にイスラエル、米国、イランの中に終末を迎えることを望んでいる国、あるいは者がいた場合、この戦争がいかなる展開をしていくのか。
いずれの教義においても、終末を迎えた後には、メシアなり、キリストなり、アッラーなりが降臨し、安寧な平和が訪れると信じていることである。
現世利益を求める我々、仏教徒としては、ちょっと待ってくれということである。何を信じようが自由であるが、人類が何回も滅びるほどの核弾頭がある。現代。終末を迎えることで、人間の精神が解放され、平和になるなんてことを信じて核のスイッチを押す。
そんなバカがいようものなら世界は目も当てられない。
この戦争が拡大するようなことがあれば、米国のプラグマティズムの権化である。トランプがその選択をする事はなかろうが、大統領職を追われれば即、監獄行きが決まっているような御仁が本当に核のボタンを握っている。
あな恐ろしや、ここから先は、それこそ神のみぞ知るである。

