ウェブメディアで、どんなに必死に喋っても、人も社会も変わらない

2014年9月12日 田島 悠史 - アートプロデューサー -
この記事を読んでくれた皆さん、連絡を下さい!一緒に面白いことしましょう!

“epitajim”で探せば、facebookでもtwitterでもぼくにたどり着きます。ずば抜けた力は今のところないですが、プログラミングから、プロジェクトマネジメント、研究調査まで、幅広くできるのが僕の強みです。気軽に連絡下さい。とりあえず(どこでもいきますけど)下北沢で軽く飲みながら、打合せしませんか?

…と、なんで最初からがっついているのかというと、「ウェブメディアで、どんなに必死に喋っても、人も社会も変わらない」と思うからです。

最近の例なら、集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更。例えば、僕のfacebookのフィードやtwitterのタイムラインには、憲法解釈の変更についての、矛盾点や怒り、危機感や恐怖など「真摯な言葉」が沢山あります。だけど、この言葉に反応を示すのは、同じ思想を持った仲間のみで、現政権はおろか、違う思想を持つユーザにすら届いてません。これでは、何も変えることができていないように思えます。

ソーシャルメディアが生んだ「言い(書き)やすい」「聞き(読み)やすい」社会は、同時に「言っても(書いても)届かない」「聞き(読み)流せる」社会とも言えるようです。そんな社会で、僕が必死に喋っても何も変わらないと思うのです。

だからこそ、僕は今まで、社会や人を変えたいと思った時には、現実社会でとりあえず動く!ということを意識してました。例えば「みなとメディアミュージアム(MMM)」というアートプロジェクトでは、地域の人と県外の学生や芸術家を本当の意味で一緒に活動させ、地域活性化に繋げる仕組みを作りました。対立や不満は少なくないですし、非効率だな、と思うこともありますが、社会を少し変えている実感はありましたし、後悔はしてません。

(最近の)本職である大学教員でも、教室じゃなくて大学の外、社会の中で行っています。最近では、新宿区中井の商店街に学生を連れていき、商店街の方々が最も伝わる「メディア」を制作し、商店街の中で展示会せよ、なんて授業をやっています。

言葉が多すぎる世の中だからこそ、言葉以外の効果、例えば誰かと会えたり、誰かの行動に変化を与えたりすることができれば、この(まさに今、皆さんが読んでいる)言葉も、はじめて意味を生むはずです。

という訳で、連絡お待ちしています!
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