青空の下で生まれる新鮮なつながり

2014年8月26日 松浦伸也 - すみだ青空市ヤッチャバ事務局 -
週末になると、長屋が連なる墨田区の下町に、日本各地から季節の野菜など自慢の逸品をもった農家が集まります。ささやかな青空市が開催されるテントの下には、周辺に暮らすおばちゃんたちが集まり、農家との楽しそうな笑い声が響きます。お客と出店者という関係を超えるほど親密な両者のあいだには、親戚づきあいのような関係が築かれています。その過程で、田舎を持たないすみだの子供たちが林間学校として、出店農家さんの地元に泊めてもらうことも恒例になってきました。

 すみだ青空市ヤッチャバでは、いわゆる売買の範疇を超えた、不思議なことがたくさん起こります。そして僕ら事務局はこの不思議な物事の中にこそ、目指すべき理想があると考えています。それは、生産者と消費者をつなぐこと。より具体的に言えば、双方が双方に対して当事者意識を持つようになる、という理想です。

 墨田区には農業や漁業に従事する人が一人もいません。そのため、東日本大震災の時には、流通がストップすることで飢餓状態になる高齢者もいました。区民と農家とのつながりをつくる青空市は、日常だけでなく非常時にこそ助け合える関係作りにもつながっています。また、いつ来るかわからない大規模災害に対応することを考え、ヤッチャバは永続すること、いわばすみだの風景になることを目指しています。数百年続く朝市は世界中にありますが、どんな形で運営されているのか気にしながら見てみると、運営者というものがないものが多いはずです。確固とした運営者を持つ構造は、長い時代の変化の波に耐えることはできないからです。そのため、ただそこには中心のない主体があります。蟻が蟻塚を作るときに設計図を持たないのと同じように、シンプルで屈託のない日々の営みの創発として、朝市が継続しているのではないでしょうか。

つまり、ぼくら事務局が到達するべき状況とは、運営という存在意義をなくした先にあるということになります。
 まだこの取り組みは実践段階にあり、僕らには圧倒的に経験や思索が足りません。1000年という時を乗り越えるものを考えた時に参考になるのは、古くからある朝市だけではありません。歴史を経たあらゆる文化、あらゆる営みからもエッセンスを学ぶ必要があるでしょう。

 ただし、遠景に目を取られて足元をすくわれることには注意をしなければなりません。
 木こりは100年後の森の姿を見て、今日の仕事をします。
 同じように、農民は日々の営みの中で田畑を代々引き継いできました。
 僕らも彼らにならい、日々、汗を流して尽くしていきたいと思います。
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