沖縄の基地問題について – 國場幸之助


沖縄の基地問題について



沖縄の基地問題について


基地問題という事なんですけれども、まずこれは沖縄の問題では無いんですね。これ日本の問題なんです。よく「沖縄大変ですね」っていう、いかにもこの川の向こう側に言葉を投げかけるような事を良く言われるんですが、これは日本の国家主権が問われている問題であって日本の安全保障の問題なんですね。それがまず共通の土台で無ければいけないと思います。

沖縄には米軍基地が今32カ所ありまして、その中で一番よくマスコミに報道される普天間基地というのがあるんですね。宜野湾市の真ん中の方にある海兵隊のオスプレイ、ヘリコプターを中心とした基地なんですが、市街地の真ん中にあって非常に危険な施設なんです。1日でも早く移設をしなければいけないという事で、県内移設を反対する今の県知事が2年前に県民から選ばれまして、移設作業を国と司法の場で争っているような形になっているんですが、ただこれは裁判の決着をつければ良いというものでは全く無くて。

やはり日本という国は敗戦国ですから、やはり戦後吉田ドクトリンという言葉があって、経済中心・日米同盟・軽軍備という形の中の3点セットの中で戦後の復興を遂げてきたんですが、日米同盟や軽軍備の歪みが全て沖縄の方に米軍基地として集約されてきたんですよ。例えば日本の方はサンフランシスコ講和で主権回復をした後には、東京を中心とする本土の施設っていう米軍基地はかなり縮小されていったんですよ。

でも沖縄は当時27年間米軍統治の時代があって、1945年から1972年までは沖縄県には日本国憲法が適用されていなかったんですね。紙幣にしてもドルを使っていたんですよ。日本円は使えませんでした。ですから米軍のある意味統治下にあってですね。普天間問題の基地っていうものも戦後からずっとあったわけじゃなくて、1956年に日本が戦争に負けて11年後に入ってきたんですよ。山梨県と岐阜県でしたかね。沖縄に初めからあったわけじゃないんですね。

当時の本土の方では日本が主権回復したにも関わらず、なんで外国の軍隊が駐留してるんだと。そして日本政府とアメリカの方は沖縄の方に集約をさせてきた。これが歴史なんですね。

沖縄が祖国復帰をして44年経っておりますので、今地位協定の改定の問題とか沖縄の基地の過重負担の問題とかありますけれども、これは沖縄の地域の問題ではなく日本国として国家主権をどう考えているのか。更には日本国そして国際社会の中において、どうやって独立とか安全保障とか国際社会の役割を果たしていくのか。そういう議論が根本的に欠落していると思います。

沖縄の方はアジアに近い地理的な優位性があるから米軍基地を集中しなければいけないという議論もあるんですけれど、ただこれは空軍と海軍と陸軍と海兵隊ってあるんですね。日本は海兵隊を持っておりません。海洋国家日本というのは陸上面積では世界61位なんですけれども、海洋面積、EEZ、排他的経済水域からいうと世界第6位の海を持ってるんですね。そういう海洋大国である日本が海兵隊的な機能を持たないというのが私は非常に問題だと思っているんです。ですからそれは米軍に依存せざるを得ないという事で、沖縄に駐留する米軍の約7割は海兵隊なんですね。彼らが非常に問題を起こすんですよ。

ですから今8000人~9000人、グアムを始め、後オーストラリアのダーウィンというオーストラリアの北の方とハワイ本国とアメリカ本国の方に沖縄から海兵隊の部隊を移すんですけれども、それでも嘉手納の空軍とホワイトビーチっていう海軍の基地っていうのは依然として残るんですが。残るにしても私がずっと今国会や自民党の部会の中で主張している事は、日米同盟っていうのは戦後71年経って非常に共通の自由と民主主義って価値観を共有していますから、地位協定の改定も重要な議論なんですが、施設の管理権の問題っていうのも同時に深めていかなければいけないと考えています。

基地の管理権とは何かというと、今は沖縄の米軍基地は日本国の0.6%の県土に74%の米軍の専用施設が集中しているんです。ここが凄く問題になっているんですね。ここを例えば共同管理をするとか、もしくは日本政府・自衛隊が管理をしてその中に米軍が駐留をすると。丁度アメリカとイギリスの関係はそうなんですね。アメリカとオーストラリアの関係もそうなんですよ。アングロサクソンの世界ではそれをなされてるんですけど。また本土の大きな基地、三沢にしても横須賀にしても佐世保にしてもそういった基地はみんな自衛隊との共同管理なんです。

沖縄県だけは米軍の専用施設なんですよね。専用施設になるといろんな軋轢も生じてきますし、そこを日米が同時に主権を担う。もしくは日本政府が主権を担って、この中に米軍が駐留するという姿を私は将来目指していかなければいけないと思っています。

沖縄でどうしても基地の問題、安全保障っていう事を考えると、やっぱり日本は敗戦国だって事を痛感せざるを得ないんですね。だから絶対にこの戦争ってものをやっちゃいけないですし、本当に平和というものは尊いという事を考えています。毎日沖縄は不発弾が出るんですよ。自衛隊の方々は毎日自衛隊の不発弾の処理の任務にあたっておりますし、後は遺骨収集ですね。遺骨ってのは世界中に。

日本の先の大戦っていうのはほとんど亡くなった方っていうのは戦闘で亡くなった方じゃなくて、餓死とか病気で亡くなってるんですよ。その遺骨っていうものもまだしっかりと集められてませんし。ところが沖縄で米軍が1万人以上亡くなっているんですが、米軍の遺骨っていうものが1体も出てこないんですよ。

つまりアメリカっていう国は亡くなった1人1人の兵士を徹底的に探して、彼らの遺体というものを探し当ててですね、祖国に、家族の元にちゃんと還すと。日本はめちゃくちゃなんですよその辺は。それはやっぱり国家の責務として始まった戦争ですから、国家の為に命を失った方々をしっかり国の責任で弔うというのがとっても大切だと思いますし。これも厚生労働省の主要な任務じゃ無かったんですね。最近になってやっと遺骨に関する立法・法整備ってものが進んできたんですけれども、これは戦後70年経ってからの話ですから、やはり日本という国としてのあるべき姿が問われている。ここは祖国沖縄の地で。

沖縄で亡くなった方は沖縄県民がもちろん一番多いんですが、その次に多いのが北海道の方なんですよ。北海道は当時日ソの協定を結んで、ソ連が攻めてこないという前提の下、北海道からたくさんの部隊が沖縄県に入ってきてですね。ですから北霊碑という慰霊碑が沖縄県にあるんですが、やっぱり沖縄県民の次に亡くなったのが北海道の方であるという事も多くの日本国民がわかってないわけでありますし、何も沖縄県民だけが亡くなったわけじゃなくて北海道から鹿児島まで多くの方々が沖縄の地で命を失ってますから。

やはりそれは平和な国家を目指す上で理解しておくこと。沖縄における。毎日不発弾が出る。未だに遺骨収集が続いていると。不発弾は後70年はかかるんですよ、今のペースだったらですね。それぐらいに凄まじい戦闘が日本国土の中で行われてきたという事をですね、やはり忘れる事なく私は政治をしていくのが私は大事だと思っております。

アメリカの色んな米軍基地はですね、キャンプコートニーとかシュワブとかハンセンとか名前が付いてるんですが、これはアメリカの地名では無くてアメリカの海兵隊が沖縄の地で命を失った兵隊の名前を付けているんですね。彼らからすると血を流して命を失ってとったある意味沖縄の領土を簡単には還して来ないという意思が伝わってくるんですね。

アメリカは1853年に、丁度ペリーが浦賀の方に開国を迫る前に沖縄の方に中国から入ってくるんです。当時からアメリカは沖縄の地理的優位性っていうものを評価していて、その時に作った地形とか色んなロジスティックのデータというものを元に、1945年にアメリカは沖縄県に上陸してるんですよ。だから何も71年前に始まったわけじゃなくて、19世紀の半ばからアメリカっていう国は沖縄の地に目を付けてこの場所のある意味可能性というものを先に見ていたんです。

ですからよく日米の歴史っていうものはペリーが浦賀に来て開国を迫ったって所から日本史の教科書で習いますけども、その前に既に沖縄の方に入っていますので。沖縄はまたアメリカとの外交条約を締結していますから、アメリカだけでなくフランス、オランダとも条約を締結しているので、ある意味日本の開国の先駆けも担ってきたっていう部分もあると思います。
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