2014年11月23日 産経「衆院解散」「『サプライズ』再来」「公示まで10日間 現行制度で最短」

産経に「衆院解散」「『サプライズ』再来」「公示まで10日間 現行制度で最短」が書かれている。

「衆院が21日に解散となり、前回の衆院選に当選した前議員の在職日数は平成24年12月16日から数えて706日で現行憲法下で6番目の短さとなった。戦後、在職日数が最も短いのは第4次吉田茂内閣の165日。衆院議員任期の半分の2年を待たず解散となるのは、17年8月の第2次小泉純一郎内閣以来だ。

また、12月2日公示-14日投開票の日程で行われる今回の衆院選は、解散日と公示日の間の日数が10日間となり、現行の小選挙区比例代表並立制が実施された平成8年以降、第1次橋本龍太郎内閣(8年9月解散)、第1次森喜朗内閣(12年6月)と並ぶ最短期間となる。

現行憲法下での最短記録は、昭和23年12月の第2次吉田内閣の3日。大日本帝国憲法下の帝国議会では解散から公示日までの日数が0日の例もあった。

今回の衆院解散をめぐっては、臨時国会が召集された9月末の時点でほとんどなかった『解散風』が10月末ごろに突如吹き始め、一気に解散へなだれ込んだ感がある。ただ、過去もこうした『サプライズ解散』があった。

<近いうち解散>
民主党が下野することになった平成24年11月の解散。野田佳彦首相は同月14日の党首討論で、野党自民党の安倍晋三総裁から『近いうち』と言ってきた衆院解散はいつなのかと追及された。

野田氏は議員定数削減に関し『通常国会で必ずやると決断してもらえるなら16日に解散してもいい』と言い放った。突然の解散宣言に与野党は色めき立った。一瞬戸惑いながらも、すぐに『待ってました』とばかりに興奮気味の表情になった安倍氏と悲壮感すら漂わす野田氏。その後継はあまりにも対照的だった。

<郵政解散>
17年の小泉純一郎首相による解散も、ほとんどの国会議員の度肝を抜いた。8月8日の解散後の記者会見で小泉氏はこう声を張り上げた。『ガリレオは<それでも地球は動く>と言った。国会は郵政民営化は必要ないと結論を出したが、国民に聞いてみたい』。
参院で否決された郵政民営化法案について衆院選で国民の信を問うという手法に、身内の自民党からも『筋が通らない』などの批判が出た。
この解散に、党内からは『干からびたチーズ解散』との命名まで飛び出した。小泉氏は出身派閥、森派の領袖の森喜朗元首相と解散2日前に首相公邸で会談。公邸を出てきた森氏は記者団に、握りつぶしたビールの空き缶と干からびたチーズを見せ、小泉氏が『殺されてもいい。郵政民営化はおれの信念だ』と語ったことを明かした。

<死んだふり解散>
昭和61年6月の『死んだふり解散』もその名の通り突然の出来事だった。中曽根康弘首相は解散を断念したとみられていたが、通常国会を閉幕した直後に臨時国会を召集して解散した。翌7月、戦後2度目となる衆参同日選で自民党を圧勝に導いた。中曽根氏は後に『(同日選は)正月からやろうと考えていた。死んだふりをした』と振り返っている。

<解散できず退陣も>
解散したくてもできず、退陣に追い込まれたケースもある。平成3年9月、政治改革関連法案の廃案が決まったことを受け、海部俊樹首相は自民党の小渕恵三幹事長らに『重大な決意』で臨む考えを表明、解散をちらつかせた。しかし、当時の最大派閥・竹下派の反対で解散に踏み切れず、退陣に追い込まれた。

安倍首相の祖父・岸信介元首相もそうだ。昭和35年1月、岸首相は新日米安全保障条約に調印した。その直後に解散し、新条約の信を問うことを考えた。だが、川島正次郎幹事長は『解散』で党内をまとめることはできないとして反対。新条約は批准されたが、安保反対闘争による混乱の責任をとって岸内閣は総辞職した」。

「サプライズ解散」は、いずれも自民が圧勝している。今回の「アべノミクス解散」も同じである。祖父の岸元首相の「サプライス解散できずに退陣」の教訓に学んだのである。

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