2014年9月17日 朝日「天声人語」「言論の自由の保障」について、書いている。

朝日の「天声人語」に「言論の自由の保障」について、書いている。

「まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとって痛恨のものとなった。報道に携わる一人として、身が縮む。同僚誰もが同じ心情だと思う。

当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。引き継がれてきた1本のろうそくに、毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員が真摯な気持ちで、日々に新たな火をともす仕事である。

言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題を巡る池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった。

気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞はもう新聞ではない。『あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれをいう権利は命をかけて守る』。古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした。

『吉田調書』については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに『命令違反』の表現が誤っていたことをおわびいたします。砕け散った物のかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する仲で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい」。

「天声人語」は朝日の「誤報問題」の本質をすり替えている。「言論の自由の保障」ではなく、その根幹である「言論の公正中立」そのものが問われているのである。「なぜ誤りとわかったのにすぐ取り消しができなかったのか」である。池上氏のコラム不掲載が最悪ではなく、誤報だとわかっていながら、それを垂れ流し続けたことが最悪なのである。「天声人語」は、朝日の「良心」であるのに、それも消え失せたと言わざるを得ない。「過ちて改めざる、これを過ちという」。

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