2014年5月25日 読売「解」 望月公一・編集委員「『自衛』と『他衛』」

読売の「解」に、望月公一・編集委員が「『自衛』と『他衛』」を書いている。

「公明党の市川雄一元書記長は『月刊公明』(2012年5月号)で国連平和維持活動(PKO)協力法について、こう語っている。『日本だけが平和ならいいとする<一国平和主義>を乗り越え、世界平和に貢献する、戦後日本の新しい生き方を切り開く極めて困難な作業だった』。

市川氏が指摘した一国平和主義の限界。日本の存立のために必要な自衛権の行使は憲法上認められるとした1959年の砂川事件最高裁判決でも、裁判長だった田中耕太郎最高裁長官が補足意見で触れている。『諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。従って一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない』。

各国の相互依存関係が強まり、一国だけで平和を守ることはできないという指摘にはうなずくしかない。田中氏は『もはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち<他衛>、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである』とも述べている。個別的、集団的自衛権は本来、一体不可分というわけだ。

与党協議が始まった集団的自衛権の憲法解釈変更も、戦争に加担するのではなく、他国と協力することで戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることが目的だ。公明党は92年のPKO協力法成立に協力し、『政権与党としてのトレーニングをしたようなもの』と市川氏は語っている。集団的自衛権でも現実的な議論を期待したい」。

公明党の市川雄一元書記長は、92年のPKO協力法成立に協力した際、「一国平和主義」を乗り越えたと述べている。今、公明党に問われているのも同じである。「一国平和主義」を乗り越えて、「集団的自衛権行使容認」をである。自衛はすなわち他衛、他衛すなわち自衛である。個別的、集団的自衛権は本来不可分一体であるからだ。

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