2013年12月31日 日経(大石格・編集委員)「愛国心のわなに陥るな」

日経に、大石格・編集委員が「愛国心のわなに陥るな」を書いている。

「靖国神社から首相官邸に戻ってきた安倍晋三首相は晴れやかな表情だった。『首相在任中に参拝できなかったことは痛恨の極み』と言い続けてきたのだから、宿題を果たして肩の荷を下ろした心境だろう。

日本を取り巻く政治情勢は晴れ晴れとはいかなくなった。中国や韓国は強く反発している。首相は参拝後に『対話を求めていきたい』と語ったが、相手はますます扉を閉ざすに違いない。

より大きな危機は同盟国に背を向けられたことだ。『米政府は失望している』。東京の米大使館は直ちに声明を出した。経済交渉で声を荒らげることはあっても、米国が日本の首相の言動をあからさまに非難したのはほとんど記憶にない。

日本政府の説明能力不足もあって、欧米では歴史問題で中韓に軍配を上げる識者が増えている。周到な根回しもなく、靖国参拝をしたことで状況は一段と悪くなろう。

日本の戦後政治はさまざまな矛盾を抱えてきた。保守派は『東京裁判は勝者の断罪』『現憲法はマッカーサーの押し付け』と米支配に反発しつつ、冷戦の中で親米路線を選んだ。安倍首相の靖国参拝はこの微妙な配合を崩しかねない。

首相は日本という国を愛することでは人後におちないと自負しているそうだ。そうした姿勢が『この首相は一生懸命だ』との信頼感を生み、アベノミクスを下支えしている面は確かにある。

だが、愛国心はときに熱くなりすぎて人権の軽視や周辺国との摩擦などをもたらす。欧州のネオファッションや中東のイスラム原理主義をみてもわかる通り、ナショナリズムはしばしば施政者の思惑を超えて暴れ出す。そのわなにはまらないよう鎮めるのが政治の役割である。

1996年に現職首相として靖国参拝した橋本龍太郎首相は『だってあそこで会おうと約束したんだ』と釈明した。追悼したいのは戦死したいとこであり、戦争指導者でない、との説明だった。

東京裁判のA級戦犯がまつられた現状で、この理屈はなかなか通らない。どうすれば全ての人がわだかまりなく参拝できる靖国になるのか。本気で考えるときだ」。

「愛国心のわなに陥るな」は、正論である。同盟国米国に「米政府は失望している」と、背を向けられたことである。保守支持層の暴走をいかに止めるか、である。安倍首相の歴史的責務である

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