落合貴之 インタビュー全文

江田憲司さんとの出会いについて

インタビュアー:
江田さんとの出会いについて教えて下さい。
落合氏:
今、こういって学生という立場できて頂いて、ぼくは自分自身の学生時代のことを思い出したのですけれども。僕自身も学生の時に政治について興味がありまして。そのときやったのは、今ではけっこうありますけれども学生のシンクタンクをつくって、政策を政治家に提言しようということをやりまして。 全国に呼びかけて。14年前(2001年)とかですけど、いろんな全国の大学のいろんなゼミの学生を集めて、ゼミ単位にいろんな政策提言をするというのをやりまして。

その中で訪れた1人が、江田憲司で。
その頃、彼は国会議員にもまだなってなくて、自民党で選挙落ちちゃってる時に会いに行きまして、しょんぼりしてたのですけれども、そこからぼくたちのイベントに来てもらったりとか。そういうのを重ねるうちに。政治家とか国会議員というのはこういう人たちなんだと思って、
それで、選挙の手伝いとかも学生の時にしまして。その後銀行員になったのですけれども、やっぱり政治の世界で、はやくやりたいと結局は、江田憲司の秘書になり
江田憲司の党から自分が国会議員として議員となり。そういうことになりました。学生時代の経験が。

若者が政治にきっかけをもつために

インタビュアー:
若者が政治に関心をもつきっかけとは?
落合氏:
今の30代半ばから後半くらいの人たちは小学校の高学年とか中学校の時に、すごい世界が動いた時なんです。教科書に載ってるベルリンの壁とか。ソ連の崩壊とか。冷戦が終わって、これから地球がどうなるのかという時だったので。

日本の国内でも今まで1995年から40年くらい自民党がずっと政権を持っていたのを
その時に政権の交代があったりして。

すごくTVで政治のことをいろいろとワイドショーとかでやるようになったのが90年代はじめくらいだったので。

自然に興味を持った人というのがおそらく多くて。ぼくの同年代の人にきくと
大体その頃に興味を持ったという人が多いですね。小学生とか中学生とか高校生とか。
そのくらいで。そういう社会の激動だったので、興味をもったという人が多いです。

僕もその中で興味をもって。その頃、自民党が政権を失った時に総理大臣になった人が、細川護煕さんという人で。それが90年代はじめなんですけれども。

その人のブレインだった田中秀征という国会議員がいまして。その人に僕は手紙を書いて。
中学生の時に。もう本当にすごく政治に興味を持っちゃったので。
学校の授業も聞かずに、机の下で政治家の本を読んでて。「がんばってください」と

「ぼくは日本をこうするべきだとおもいます」というのを中学生ながらに。
そのとき、田中秀征は毎日TVに出るくらい有名な人だったんですけれども、返事をくれまして。
野球少年が野球選手に手紙を書いたら、返事もらったみたいな。
絶対に政治の世界で働きたいと(思いました)。
政治家になるのか秘書としてでもいいか。考えてなかったんですけれども。
とにかく政治の世界ではたらきたい。自分の興味があることを仕事にしたいと思いまして。

インタビュアー:
今でも国会議員さんの所に手紙は届いたりしますか?
落合氏:
きますけど、小学生や中学生からくることはほとんどないですね。たまにtwitterとかそういうので…それでも高校三年くらいになるとくることがあるので、それは必ず返事はするようにしてます。
正直すごいいっぱいメールもくるんで返してない人も実はいるんですけど。
でも10代の人から来た際は絶対に返すようにしてますね。
それが何かその子の将来に繋がるかもしれないので。

学生の頃に主催した全国イベントについて

インタビュアー:
2001年の段階でインターネットが発達していない段階でインターネットも発達していない時だと思うのですが

落合氏:
ホームページはブロードバンドが導入されたばかりで、重いホームページもつくれなかった。やっとメールが当たり前になったころだったので。
全国に呼びかけて。場所が離れててもメールでやりとり出来るようになったという頃で。
たしか、日本全国から40くらいのゼミを集めて、イベントを2日間に分けてやったのですけれども。政治家を呼んで。

別の企画でその頃、その前の年に沖縄サミットがあったので
沖縄サミットの学制版をやろうということで台湾の大学とソウルの大学と日本のぼくが慶応大学だったので慶応大学のそのゼミと沖縄の大学のゼミと 4つで沖縄で合宿をやって、合同ゼミをやりました。沖縄サミット学生版ということで。
それも勉強になりました。それもネットが発達したから出来たことで。

ちょうど2000年前後からネットが当たり前になってきて特に韓国とか台湾の方が先にネットが進んでたので、それでやりとりをして、沖縄に集まったという感じです。

インタビュアー:
それを率先して運ばれていたのが(落合さん)?
落合氏:
そうですね。アイデアをだして。あとは
その時の、帰国子女の人でやる気のある人を集めて。
各大学と交渉してもらったりとかして。

ぼくも沖縄に行ってどこの会場にするかとか段取して。
そういうのもすごい勉強になりました。

インタビュアー:
すごいエキサイティングですね。
落合氏:
そうですね。やっぱり学生の時にしか出来ない事をやらないといけないので。
最終的には勉強もしましたけど。勉強というのは本でも出来るので。本読めば出来るので。
そのときの教えてくれている教授と本音で話したりするのとかも学生の時しか出来ないですし。
そういって学生同士でイベントをやって、しかも政治家の人に来てもらうのも学生の時にしかできないことなので。

それをなんとかやっていこうということで
その、沖縄の時の沖縄県知事とか、そういう人もみんな来て。
沖縄県知事が英語でスピーチ、棒読みでしたけど、して。
それで沖縄の価値とか東アジアの交流の拠点が昔は琉球だったので。中継基地だったので貿易の。そういう沖縄の意義とかを説明して。その頃から基地問題とかあったので
その中で沖縄というものの存在を東アジアの人、日本の人にも知ってもらおうという
ことでそういうイベントをやりました。

30カ国以上の国を訪問した経緯・経験について

インタビュアー:
落合さんは今まで30カ国以上の国を巡って来た
経験があられると聞いているのですが、バックパッカーとして世界を巡ってたと聞いているのですが。

落合氏:
それも大学生の時からはじめました。自分の生きてる生涯のうちに、自分の住んでる地球くらいは全部みてみたいと思いまして。
まず、国内の方が簡単にいけるので大学生の時に国内は全部都道府県全部行きまして。
で、卒業した時に、見直してみたら、山形だけ行っていないことに気づきまして。それはこの前行って、全部制覇したのですけれども。
その時の国連加盟国 200カ国近くで割り算すると1年で5カ国くらいで生涯いけるかなと。

なるべくバイト一生懸命やって、貯まったお金を全部バックパックのために
自分で学生で稼ぐくらいなんでそんなに稼げないので、
安い飛行機とか探して、地球の歩き方とかをみて1日500円とかで泊まれる所とかも探して・
なるべく1日1都市とかでバスとか、電車とか乗ったり旅をしましたね。

社会人になるまでは。卒業旅行とかも。結局。
社会人になったら何日もあけられないので日本から一番遠い所にいこうと思いまして。
探したら、モアイ像のあるイースター島とアイスランドがすごい遠いんです。
飛行機でかなり時間が掛かって。

そのとき、卒業旅行で冬だったので。イースター島と、アンデス山脈のアンデス分面を全部セットで回って行って。1ヶ月ずっと休みをとるというのは出来ないので。それもバックパックの旅でやりました。

南半球の南
アイスランドはそのとき冬で。
北極圏なので冬で結局行きたくて。いつかは行きたいと
銀行員になって、休みがとれないので
1年間に1都市ずつ
中国も広いので、1年間に1都市ずつ銀行員時代はつぶして行く

1ヶ月休みもらおう!と思って、江田
政治の世界を違う視点から
1ヶ月旅を
政治の世界を違う視点から見れるようにしたい。
留学にもお金が掛かる
1ヶ月休みをもらって世界一周させて下さい。と言いまして。
その1ヶ月○◯

NY,ワシントン、中東ドバイ、カイロ ルクソール ドイツ フランククルト
本当は
1ヶ月休みをもらって
1都市3日間くらい
食事代とかが高いので
世界の遺跡とか美術館とか回りました。

飛行機代だけで60万とか掛かっちゃいますから。
食事代とかが高い

一番印象に残っている国は?

今、イスラムの国との問題がいろいろありますけど
イスラムの国というのは、本当に行って生活をみないと理解できないというところが多いので、それは本当に勉強になりました。

インタビュアー:
例えばどういう慣習・シーンで違いを感じましたか?

例えばサウジアラビアとドバイとエジプトって全然違うんですよ。
同じイスラムでも。サウジアラビアの方がイスラム教に忠実であろうとしていて、ドバイはあれだけ世界の人集めてますので
エジプトも向こうの言葉で言う、世俗的。エジプトはイスラム教から脱しようとしていたので。

例えばエジプトに行くとナイル川沿いでデートしたりしているんですよね。イスラム教は男女一緒に歩かないという(きまり)ですけどやっぱり国によっていろいろ違う。
ただ、女性専用車両とか東京にもありますけど、そういうふうにきっちり分かれてたりですとか、ガイドブックとかをみるとエレベーターに女性が乗っている時は男性は乗らない方がいいとか。密閉の空間に一緒にいないほうがいいとかそういうのを勉強してから行きましたね。

インタビュアー:
サウジアラビアとかの方がそういうところが徹底されている

落合氏:
結局サウジアラビアには行かなかったんですけど、サウジアラビアから飛行機が着いたりすると
白い服着た男性の方が降りて来たりとかイスラムの国というのは日本と違うんだなというのを感じました。

インドはやっぱりすごいんですよ。ぐちゃぐちゃで。
働いてない人がとにかくいっぱいいるのと。道ばたにゴロゴロしている人達も。
働こうとおもっても働けない人もいっぱいいますし
単になまけもので働いてない人もいっぱいいますし、道に住んでる人もいますし、スーツ着てお金持ちもいますし
世の中のすべてが集まっているのがインドというような感じ。
これも、貧乏旅行するんだったらインドは行った方が良いですよ。

インタビュアー:
世界が凝縮している感じ?

だからここから仏教が生まれたんだとか
そういうのを感じると思います。

バックパック中に起きた最大のアクシデント

インタビュアー:
落合さんも、はちゃめちゃな出来事に巻き込まれた事は?
しました。はい。
あまりここでいうのもあれですけど。
飛行場からタクシーに乗ったら、悪い人たちのアジトに連れてかれてそこで閉じ込められたりしたことがありました。
走って逃げて来たんですけど。
その時が大学4年生の秋くらいでたしか。
そのアジトでアジトの人と英語でディスカッションになったときに、
はじめて英語をしゃべっている自分に気づいたんです
それまでは片言で旅するくらいしか出来なかったのが、ちゃんと英語で議論してたんです。
そういう経験をしたことで、本当は危ないから止めた方が良いと思うのですけど。
でも飛行場からタクシーに乗ったらすぐだったので。逃げようもなく。。
良い経験になりましたね。
受験英語から使える英語に急に頭が変わったんですよ
しかも文章にちゃんとなってたじゃんという。

カルチャーショックを受けた食べ物

やっぱり、幼虫みたいなの売ってるところとかありますよね
露店みたいな。鉄板で煎って袋につめていくらとかで(売ってる)。
さすがに食べなかったですけど。
香港で、ヘビは食べました。
見た目はサンマみたいで、味はよくいう鶏肉みたいな感じです。あっさりした肉みたいな。
でも、あれ沖縄でもハブ酒ってありますけど栄養はすごくいいらしいです。
ちょっと病気の人とか、弱ってる人に、ヘビのスープとか食べさせるって隣で食べてる中国人のおじさんが行ってました。

現地の人・物事との関わり方

インタビュアー:
現地の方と仲良くなるのは上手でしたか?
落合氏:
わりとそうだと思います。
どっちにしても現地のことを学ぶ為に旅しているので
なるべく現地の人と話しをして。
それは日本でも一緒ですけどね。東京の中でも、はじめて会う人と
何の為に話すかといえば「世の中にはいろんな人がいる」というのを学ぶ為なので。
なるべく本音で話せるように、仕事の上でも。海外に行っても、なるべく現地の、特別な物ではなくて現地にとってあたりまえのものを食べて、話しもして、なるべくそれを心がけてます。
それじゃないと表面的なことしかみないで、行った意味がないので。
それだったらネットで観れば良いですし。旅番組みればいいので

銀行員・秘書など組織に属して働いた経験について

インタビュアー:
秘書をされたお二方、とてもユニークな方だと思いまして。どちらも国会議員という典型的なイメージとは若干違ったところがあると思うんです。一般的な人たちが「国会議員」と思っているものが、こうじゃないんだと感じたところを教えて下さい。

落合氏:
サラリーマンもそうですけども、組織に属さないと大きな仕事は出来ないので、いずれの形でも、組織に属した方が大きい仕事ができるとおもうんですよ。

でも、これからどこかに就職するでしょうけど、下手をすると組織の言いなりになってしまいますし、朝起きてから夜寝るまで自分の意志で自分の時間の使い方を決められないというように下手したらなっちゃうと思うんです。
それを、どんな社会にいる人も、気をつけなきゃ行けないと思うんです。
それじゃないと何の為に自分の人生があるんだということになってしまうので。
そういう意味で、組織に属しながら意見を言っていく
その姿というのは、本当に勉強になりました。
それが、何でもかんでも反対したり、何でもかんでも意見を言う訳ではなくて、ある自分なりの基準をそういう人たちは持っていて、その絶対的な「ここだけは譲れない」基準に対しては意見をいっていくというのが、組織の中で自立している人だと思うので。自分な
自分なりの価値観「ここだけは譲れない」という価値観は持っていた方が良いと思いますね。
それがないと上司から言われた事をそのまま決めることだけが当たり前になってしまって。
最終的には、レストラン行っても、自分の食べ物さえ決められないということになっちゃいますから。
上司が頼んだから、私も。 とか。そうなっちゃいますから。
彼なりの基準を持って活動しているというのは共通点ですよね。

政治家としての今後の抱負について

よく一般的に言われるのが、どういうポストにつきたいですか、総理になりたいですかとかそういうものだと思うんですけど、
総理になりたいとおもって、総理になる人は結局、政治の世界に染まっちゃうと思うんです。
上杉謙信は天下をとるために、戦ったわけではないんです。負けた事ないのに、天下をとらなかったわけです。やろうと思えば、一気に京都を攻め上っていれば天下をとれたわけなので。

政治家達がいろいろ滅茶苦茶な中で、TVとかみててもいろんなことがありますけど
誰もみていなくても、自分だけは国会議員として、しっかりとした人間として
この世界で働いていきたいと、こういう政治家がいればいいなと思えるような、この人は嘘はつかないとか、本当に国民のためを思っているとか。そういう
落合貴之がいるからこそ
まだ政治は希望があるという存在を目指したいですね。
具体的にどういうポストにつきたいですかというよりも
彼がいるからこそまだ希望があるという存在になりたいです。

なぜ維新の党なのか?

インタビュアー:
政党の色を色分けするには、誰に応援してもらっているのかというのがわかりやすいと思うんです。
例えば、自民党だったら歴史的に、経団連といって大企業の集まりの人たちが
自民党を応援して来た。
歴史的に、労働者側の労働組合が
社会党とか民主党とかを応援して来たと。基本的には、今の民主党は労働者の代表であるんだと思いますし。

大企業の代表が自民党。業界団体の代表が自民党なんだと思うんです。
他の政党も、それぞれ長く続いているところはバックボーンがある。
そういう人たちが支えていると思うんですけど。

それだと国民全体の代表が国会議員であるのに一部の人たちの代表でいいのかというのが私自身も思っていまして。

ネットがなかった時代というのはやっぱり組織に頼らないと自分がやっている活動の報告も出来ないですし。
ただ、ネットが出来たらこそみんなの党とか今の維新の党
ある程度の票をとれるようになってきたと思うんです。
どこの団体ではなく国民全体に訴えることで、反響が返ってくる。
街頭演説とか
ブログとかで訴えるあとは、広告物も全部ネットに載せておく事で向こうから検索してもらって、ヒットするというようなことができるようになったので。

みんなの党とか、今いる維新の党とか
特にどの団体が応援しているというわけではない。
だからこそ、団体に対してきつい事もある程度いうことができる。国民全体にメリットがあることをいうことができる。
その代わり、選挙はそんなにみんな強くないですからね

企業献金・ネット選挙など選挙戦略について

インタビュアー:
12月の政治活動で献金を受け取らないというところがすごく新鮮に感じられて。それでも1位の自民党と接戦まで繰り広げられたと思うのですが、そういった風に戦うことが出来た秘訣、たくさんのボランティアの方のご協力もあったと思うのですが、ほかにどういったテクニックが?

落合氏:
企業献金, 団体献金を受け取らないと。
それはさっき言った、特定の団体からものすごくお世話になってしまうとその団体の代表になってしまうので。
私自身は、個人からの献金は受け取っています。
それは例えば、この人を応援したいと思ってくれたら1人1万円くらいは出してくれる大人がいるので、その
1万円を1,000人から集めれば1,000万円になります。
企業献金というのは1,000万円までですから。
1個から1,000万円もらうより1万円を1,000人の人からもらう方が国民の代表になりえると。なので資金的にはきついですけどそれでも個人献金という形でちょっとずつ頂いているのと
活動自体をなるべくお給料を払う人を雇わないと。

大政党の演説している時のチラシ配っている人とかはお給料をもらっているスタッフなわけですよ。
ぼくの活動は地元の人でぼくを応援したいと思ってくれる人が自分でチラシを配ってもらう
なので基本的にボランティアなので、人件費がかからない。
その家賃分はカンパとかで頂いたもので支払いをして。
あとチラシつくるのもある程度お金がかかるので。

ただ、チラシの原稿の作成も全部ボランティアでやってもらっています。広告会社とかに頼むとすごいお金がかかってしまうので。
そういう意味でお金のかからない選挙のやり方をやることで
普通の住民の人たちが参加してくれるようになって。
それがでも、本来の民主主義だと思うんです。

インタビュアー:
そういったことをされてきて今回の結果になったと思うんですけれども。それでもやはり。
ニコニコ動画の方の政治関係の番組に1度司会で出させて頂いた時に、いろんな政治家さんいらっしゃって、野党でがんばっている方もいらっしゃったんですけれども。
当日開票した時に2,000票しか入っていないのを観て、愕然としたんです。

落合氏:
ぼく自身も、ネットと政治について考えて来たんですけど
ネットだけっていうのはダメなんです。
それは、なんというんですか、リアルな一対一の関係があって
ただ、毎日会えるわけではないじゃないですか。
でも、ネットがあれば毎日会えるわけですよ。
SNSで友達になってたりすれば。毎日その人の活動をみているわけで。
そういうリアルな友達とのつながる手段としてのネットだと思うんです。

なので僕は、ネットだけで支持を広げようとはおもってませんで。
とにかくリアルにいろんな人に会う。
興味もってもらった人にはネットでつながってより僕のことを理解してもらったり。
その人も同じように、自分の友達にネットで発信してもらえれば
票数というのは増えていくので。
さっきバックボーンはネットですか というのをぼくは一部否定しましたけれども
ネットに頼ろうというのはネットが票になるのではなくて
ネットはあくまでも手段なんです。
票は会って増やして行く。
今までの昔のやりかたありきで、ネットはうまく利用していくと。
ぼくが銀行員から秘書になったときに今いろいろ使われている
ネット献金という仕組みをつくってたんですよ。
クレジットカードで政治家に献金ができるという仕組みをはじめてやったのが江田憲司で
それをやったのがぼくで
みんなの党が結党された時も
その仕組みをそのまま使いまして
政党初のネットで献金を集めるという。
みんなの党が出来たとき、結構盛り上がったので結構集まったみたいなんですけど。
それもひとつのネットの使い方ですよね。
いままで献金は、銀行に行って振り込まなければいけなかったり

どこにふりこめばいいんですかとわざわざ聞かなければいけなかったのをそのサイトで、クレジット番号いれるだけで献金が出来るという献金の仕組みが出来たことである程度献金の幅が広がって行ったので。

それもひとつのリアルとリアルをより深めていくためのネットの使い方だと思うんです。

インタビュアー:
ネットはあくまで手段として用いられて、あくまでも現実世界の方で地盤を築いて行くということですね。

落合氏:
そうですね。それじゃないと選挙というのは顔が見えないと自分とは関係ないことになっちゃうので。
結局ネットだけだと政治家も自分とは関係ないし、政治も関係ないしと。ちょっと関係が薄くなっちゃうと思うんです

後援会長・上杉家について

インタビュアー:
後援会長に、上杉家の方がつかれたとうかがったのですが?
落合氏:
地元にたまたま上杉家の末裔の人が住んでいて。
僕自身は日本酒が好きなんです。日本の文化に興味があって。歴史も好きなんですけど。
その日本酒教室の講師がその人だったんです。こういう日本酒がありますという教室の。で、そこで仲良くしてもらって。
最終的には、ぼく自身も歴史が好きなので。

上杉謙信というのは何でもありの戦国時代の中で
義といって、約束とか義理とか、人間としての心情を重んじた人なので。

政治の世界もそういうものなので。ぜひこのめちゃくちゃな永田町の中でも人間として、人格としてもしっかりと僕自身がしっかりとした人間としていられるように。
その象徴としても上杉家の教えをぼくもいろいろ教えてもらいたいと。
上杉治憲(ようざん)というつぶれそうな藩を立て直した名君と呼ばれる人もいますし。
ぼくの方からお願いをして。今、やってもらっていますけどね。
上杉家の教えを今、いろいろと学んでます。

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