2019年10月24日 産経「石平氏のChina Watch」「建国70年が兆す暗い未来」

産経の「石平氏のChina Watch」に「建国70年が兆す暗い未来」が書かれている。

「今月1日、中国の習近平政権は北京の天安門広場で建国70年を祝う国慶節の式典と軍事パレードを盛大に執り行った。

しかし、北京での式典やパレードの華やかさや厳かさとは裏腹に、香港特別区では民衆が大規模な抗議デモを巻き起こし、香港警察が抗議者の高校生に実弾を撃って重傷を負わせるという衝撃的な事件も起きた。

中国は結局、反乱と流血が起きている最中に自国の『70歳の誕生日』をお祝いする羽目になった。それは建国以来、前代未聞の異常事態、中国の厳しい未来を暗示するような不吉な兆候でもあった。

実は、中国政府が建国70年のために執り行った一連の記念行事においても、この国の暗い未来を兆すような現象が見られたのである。

9月30日、つまり国慶節の前日、習近平国家主席は共産党最高指導部の面々を率いて天安門広場の『毛沢東記念堂』を参拝した。

鄧小平時代以来、共産党最高指導部の人々が毛沢東の遺体を安置している記念堂を参拝するのは通常、生誕100周年などの節目の記念日に限ったことで、国慶節に合わせて参拝した前例はない。習近平指導部による上述の前例破りの参拝は当然、何らかの特別な政治的な意味が込められているはずだ。

つまり、習主席はこの異例の行動をとることによって、自分こそが毛沢東の真の継承者であること、自分の政権が毛沢東流政治路線への回帰を目指していること、を内外へ向かって宣言したかったのではないか。

実際、ここ数年における習政権の『毛沢東回帰』は明確な政治路線となっている。

国有企業の規模・シェアの拡大と民間企業の縮小・後退を意味する『国進民退』の積極的な推進にしても、1980年代以来最も厳しい思想統制・言論弾圧・人権弾圧の断行にしても、AI技術による完璧な国民監視システムの構築にしても、それらの政策すべてから、『毛沢東の亡霊』がよみがえってきていることを見取ることができよう。

そして、前述の建国70年で、文革の暗黒時代を彷彿させる事件があった。

2日、四川省南充市の『網警(ネット警察)』は、24歳の青年を拘束したことを発表した。その罪名は何と、国慶節の軍事パレードを『侮辱』した、というのである。

青年は先月29日、中国で広く使われているSNSの『微信』で、来るべき国慶節の軍事パレードについて『そんなのを見る価値はどこにあるのか』と言い放ち、パレードに参加する人々に提供される食事のことを『豚の餌』だと嘲笑した。

それだけのことで、青年は警察に捕まり、7日間の行政拘留の処分を受けた。政権が行う閲兵式を軽く揶揄しただけで警察の厄介になるとは、民主主義国家に住む人々からすれば荒唐無稽なおとぎ話に聞こえるが、かつての毛沢東時代を体験した私たちには覚えがある。

全国民が監視下に置かれ、共産党や政府に対して軽い文句や批判のひとつでも吐いたら直ちに刑務所入りという恐怖政治は、まさに毛沢東暗黒政治の最たる特徴であった。

鄧小平の改革・開放から40年、こうした毛沢東流の暗黒恐怖政治が、習政権統治下の中国で完全に復活してきているのだ。そして今後、恐怖政治はより一層の猛威を振るっていくであろう。結局、中国建国70年の華やかな記念式典の背後から、かつての毛沢東時代の経験者である私が見たのは、この国の暗くて危うい未来である」。

建国70年で、習近平主席の「毛沢東回帰」が旗幟鮮明になった。9月30日、国慶節の前日、習氏は共産党最高指導部を率いて、天安門広場の「毛沢東記念堂」を参拝した。自分こそが毛沢東の真の継承者であると。毛沢東の恐怖政治の復活である。中国共産党一党独裁の終わりの始まりとなる。

pagetop