2019年10月2日 産経「阿比留瑠比の極言御免」「国家解体試みた民主党政権」
産経の「阿比留瑠比の極言御免」に「国家解体試みた民主党政権」が書かれている。
「16日付朝刊の産経新聞、読売新聞、朝日新聞の3紙の社説(本紙は『主張』)が民主党政権発足から10年が過ぎたことを取り上げていた。あれからもうそんなにたつのかという感慨にふけりつつ読むと、視点はそれぞれ異なっていた。
産経は『現実的な安保政策をとれ』とのタイトルを付け、民主党政権が残した外交・安全保障上の教訓を示してこう指摘している。
『最大の失敗は、外交安全保障をおろそかにしたことだ』『もう一つの失敗は政治主導が官僚排除であると勘違いしたことだ』
読売は『民主党の過ち繰り返すのか』とのタイトルで、立憲民主党や国民民主党など現在の民主党の後裔政党に『反省を生かす気はあるのか』と迫っていた。例えばこうである。「
『実現可能性を無視した公約は、次々に修正を迫られた』『(保守系から旧社会党系までの)<寄り合い所帯>が、難しい政治課題に対処できなかったのは当然だろう』
<朝日は一定の評価>
両紙は、民主党政権から教訓や反省を読み取り、後裔政党を戒めているが、朝日は違った。朝日は『<遺産>生かし対抗軸を』とのタイトルで、次のように民主党政権に一定の評価を与えて懐かしんでいた。
『政権交代そのものの意義を忘れてはなるまい』『安倍(晋三)首相が繰り返す<悪夢>という決めつけは一方的過ぎる。成し遂げたものを冷静、公平に評価しなければならない』『政権の挫折は、こうした理念が間違っていたことを意味しない』
筆者は2月15日付の当欄で、民主党政権のマニフェスト(政権公約)の不履行、政治主導の迷走、統治能力の欠如と党内抗争、外交・安保上の失態、景気低迷…などを列挙した上で『あの時代が悪夢だったことは疑う余地がない』と結論付けている。
だから朝日の見解は理解に苦しむが、朝日にとっては輝かしい時代だったのだろう。朝日は、鳩山由紀夫首相(当時)が最初の所信表明演説で、行政だけではなく、地域の市民や企業などが支え合う『新しい公共』の考え方を高く評価しているが、これは何を意味するのだろうか。
<致命的な国家観欠如>
鳩山氏のブレーンとされ、内閣官房参与も務めた劇作家の平田オリザ氏は平成22年2月のシンポジウムでこう語っていた。『鳩山さんとも話をしているのは、21世紀は、近代国家をどういうふうに解体していくかという100年になる』
鳩山氏が『国というものがなんだかよく分からない』『日本列島は日本人だけの所有物じゃない』などと主張したことと通底する。
また、後任の菅直人首相は政治学者の松下圭一氏に傾倒し、著書で『松下理論を政治の場で実践する』と記すが、その理論とは何か。かみ砕いていうと、国家統治を崩壊させ、市民と自治体へ権力を移行させていこうという考え方である。
つまり、民主党政権が実行しようと試み、朝日が現在も称賛していることとは、国家解体の思想だと言っていい。
だが、菅内閣時に発生した東日本大震災でも、今回の台風15号による大規模停電被害でも明らかになったのは、国家という共同体の枠組みの重要性と、それをきちんと機能させることの大切さではないか。
現在、立民と国民両党が衆参統一会派を組むための協議を行っているが、国家観が不一致または欠如したままでは、とても国のかじ取りは任せられない」。
氏が言う「国家解体試みた民主党政権」は、正鵠を突いている。3・11の東日本大震災での菅直人政権の危機管理の失敗が全てである。非常事態宣言を出そうとしなかったことが、である。憲法違反との認識が、である。その際の官房長官が枝野氏であり、現在、野党第1党の立憲民主党の代表である。負のイメージが染みついた枝野氏を立てての政権交代は不可となるが。