2019年6月19日 朝日の社説に「年金論戦」「まずは政府が説明を」

「『年金100年安心はウソだった』はフェイクニュース」

朝日の社説に「年金論戦」「まずは政府が説明を」が書かれている。

「安倍首相と全閣僚が出席する参院決算委員会がきのう開かれた。衆参の予算委員会の開催を与党が拒むなか、広く国政の課題をめぐる質疑に首相が応じたのは2カ月ぶりだ。

野党の質問が集中したのは、夫婦の老後の資産として2千万円が必要になるとの、金融庁が先に公表した報告書だ。65歳の夫と60歳の妻の場合、年金収入だけでは毎月5万5千円、30年で約2千万円が不足する――。そんな試算に基づき、貯蓄や資産運用の必要性を呼びかけた。

『年金は<100年安心>はうそだったのか』『勤め上げて2千万円ないと生活が行き詰まる、そんな国なのか』。野党の追及に、首相や麻生財務相は『誤解や不安を広げる不適切な表現だった』との釈明に終始したが、『表現』の問題にすり替えるのは間違っている。

年金だけでは暮らせず、高齢になっても働き続けたり、蓄えを取り崩したりしている人は少なくない。少子高齢化が進み、今後、年金水準の引き下げが予定されているのも厳然たる事実だろう。

制度の持続性の確保と十分な給付の保障という相反する二つのバランスをどうとるのか。本来、その議論こそ与野党が深めるべきものだ。国民民主党の大塚耕平氏は『制度を維持・存続する意味での安心で、国民の老後の安心ではない』とただしたが、首相は『みなさんに安心してもらえる制度の設計になっている』と述べるだけだった。

年金の給付水準の長期的な見通しを示す財政検証は、5年前の前回は6月初めに公表された。野党は今回、政府が参院選後に先送りするのではないかと警戒し、早期に明らかにするよう求めたが、首相は『政治的に出す、出さないということではなく、厚労省でしっかり作業が進められている』と言質を与えなかった。

年金の将来不安を放置したままでは、個人消費を抑え、経済の行方にも悪影響を及ぼしかねない。財政検証を含め、年金をめぐる議論の土台となる正確な情報を提示するのは、まずは政府の役割である。

日米の貿易交渉や日朝関係、防衛省が公表したデータに誤りがあった陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』の配備など、国会で議論すべき課題は山積している。しかし、4時間弱のきのうの審議では、年金以外のテーマはほとんど取り上げられなかった。

夏の参院選で、有権者の判断材料となるような審議こそが求められている。今国会の会期末まで2週間余り。政権与党は逃げの姿勢を改め、国民の前で堂々と論戦に応じるべきだ」

社説の主旨である「まずは政府が説明を」に異論がある。

野党の言う「年金は100年安心はウソだったのか」は、フェイクニュースであるからだ。金融庁が3日に公表した報告書には、65歳の夫と60歳の妻の場合、年金収入だけでは毎月5万5千円、30年で約2千万円が不足するとし、貯蓄や資産運用の必要性を呼びかけた。それを、野党は「勤め上げて2千万ないと生活が行き詰まる、そんな国なのか」と「年金100年安心はウソだったのか」と批判した。そもそも公的年金は元来、老後資金の全てを賄う設計にはなっていないことである。この大原則は民主党政権時でも同様で野党も百も承知である。老後に必要な資金額を紹介し、自助努力を促すことは当然のことである。

問題は、「年金100年安心」の意味は、公的年金制度を維持・存続する意味での安心で、国民の老後の全ての資金を賄える安心の意味ではないことである。年金のみでは暮らせず、高齢になっても働き続けたり、たくわえを取り崩すしかないのが、現実であり、国民はそのことを承知していることである。その老後の安心の柱が公的年金制度であり、その制度は100年維持・存続できるとの意味である。にもかかわらず、野党は、2000万不足の現実を「年金100年安心はウソだった」と、公的年金制度の維持への不安を煽っているのである。「年金100年安心はウソだった」が、フェイクニュースである。

pagetop