2018年1月19日 朝日「自民党2018総裁選候補者たち」②石破茂氏に「孤立恐れず 強める政権批判」
朝日の「自民党2018総裁選候補者たち」②石破茂氏に「孤立恐れず 強める政権批判」が書かれている。
「昨年暮れ、自民党石破派の忘年会で話題となったのは、その日の新聞1面に載った大相撲の暴行問題だった。
貴乃花親方の対応に批判的な声があがる中、独り擁護する人物がいた。派閥領袖の石破茂だ。孤立を恐れない貴乃花に自らを重ねるようにこう評した。『正しいではないか。なれ合いの世界に立ち向かっている』
かつての自民党には、口角泡を飛ばして議論する文化があった。往時を知る石破には、今の党はなれ合いの集団に見える。
天皇陛下の退位、『共謀罪』法、自衛隊明記の憲法改正……。石破は、昨年、党の最高意思決定機関の総務会で、官邸主導の方針に異論を唱えた。が、目立った同調者は元行革相の村上誠一郎ぐらいだった。
先月4日にあった総務会の懇親会で、首相の安倍晋三は『昔の総務会は今よりも激しかった』と口にしたという。
<党のため沈黙も>
沈黙の自民。その一因は他ならぬ石破にもある。
2012年の党総裁選。石破は、党員・党友による地方票で安倍を圧倒したが、国会議員による決選投票で逆転負けした。安倍の下で幹事長に就いた石破は、安倍への異論を封印。安倍に近い党副総裁の高村正彦は当時、パーティーで称賛した。『総裁の足を引っ張る悪い癖が自民党にあったが、石破幹事長は支えに支えまくっている』
第1次安倍政権以降、激しい党内抗争が政権転落につながったと総括した自民党にとって、沈黙は『正しさ』だった。石破にも『俺が反対して党がガタガタしたら、支持率は一気に下がる』との思いがあった。
石破の沈黙は党をまとめた半面、党から談論風発は失われた。
正しさ。それは石破の行動基準であり、執着の対象ですらある。
中学2年の生活委員長当時、石破は規則に反した生徒に『生徒会規則の〇条に反していますよ』と説いて回った。交戦権を否認する9条2項を残し、自衛隊明記を掲げる安倍案に、『交戦権なき自衛権という概念は存在しない』と異を唱える現在の石破と重なる。
1993年、宮沢内閣の不信任案に賛成、離党した。当時の石破の正しさは衆院に小選挙区を導入する政治改革だった。だが、その行動は石破が自民に復党して20年を超えたいまも、党内の一部に不信を残す。
正しさを追う求道者ゆえか、石破は政治家らしい社交性に乏しい。
本を読むため、宴席もなるべく午後10時までには切り上げる。資料に目を通すために議員会館の自室にこもる。昼食もコンビニ弁当で済ませる。そんな石破に、派内から『若手とメシを食べ、支持を広げて欲しい』と嘆きの声が漏れる。
昨年9月の石破派研修会で、会長代行の山本有二は幕末の侠客、清水次郎長と、幕臣だった山岡鉄舟とのやりとりとされる逸話を披露した。鉄舟『親分のために死んでくれる子分はいるか』
次郎長『俺が子分のために死ぬ』
山本は石破に迫った。『それが結束する集団の心だ。死ぬ覚悟でお願いします』
<派外からも叱咤>
石破を叱咤する声は派外からもあがる。昨年11月、石破のパーティー。党総務会長の竹下亘は20人の石破派を引き合いに、『兄の竹下登が田中角栄先生に刃向かうつもりで集会を開いたのが20人の同志。そこから総理への道をスタートさせた』。そして続けた。『<何年干されても、やるぞ>という熱気を感じていない。皆さんが<やるぞ>と本当に腹を固める時期はどこかと思っている』
若き日に田中派事務所で働いた石破は、亘とは政界入りする前から交流がある。田中派を源流に持ち、亘が所属する額賀派は総裁選に向け、石破と連携する可能性もささやかれる。
石破が師事した田中は権力奪取の要諦を『味方を増やすことより、敵をつくらないことだ』と言った。だが、石破は孤立を恐れず、政権批判を強める。
5日のテレビ収録では政権の金看板『アベノミクス』に斬りかかった。『株が上がり、円安で輸出産業を中心にもうかった。だが、一人一人の暮らしは豊かになったか』
先月、石破は鳥取市で、初当選前の85年から石破を応援する団体主催のクリスマスパーティーに出席した。ジャンケン大会の『目玉』に会場は沸いた。『石破さんが総理になれば首相官邸でカレーを楽しむ権利』。十数年ぶりに復活した賞品は地元の期待の高まりを映し出している」。
石破茂氏は孤立化を強いられている。安倍晋三政権の金看板である「9条に自衛隊明記を」とアベノミクスにかみついているからである。国政選挙5連勝は自民党結党以来初であり、安倍3選は既定の事実である。負け戦必至である。