2017年9月27日 東京「時代を読む」、宇野重規・東大教授が「衆院解散の『副作用』」

東京の「時代を読む」に、宇野重規・東大教授が「衆院解散の『副作用』」を書いている。

「突如、解散風が吹いてきた。『仕事人内閣』を標榜して内閣改造を行った安倍晋三首相であるが、とりあえず『仕事』は置いておいて『解散』へと気がむいたらしい。『大義名分なき』解散との批判も多いが『解散は首相の専権事項であり、勝てる時に解散して何が悪い』ということなのであろう。いったん風が吹き始めると、動きが止まらなくなるのが議員心理である。おそらく、このまま解散になる可能性が高い。

もちろん首相の解散権について憲法上の疑義があることは言うまでもない。69条の内閣不信任決議案可決または新任決議案の否決による解散を別とすれば、首相に解散権を与える明示的な規定は憲法に存在しない。7条の天皇の国事行為に『衆議院の解散』があることを、天皇の国事行為は『内閣の助言と承認』に基づくという規定と結びつけ、かなり無理筋な理屈によって歴代内閣は、首相の解散権を正当化してきた(その場合も、首相ではなく内閣の「専権事項」である)。はたして首相による一方的な解散権の行使を認めてよいか、なお議論が必要だ。

仮に首相の解散権を認めるとしても、政権に有利な時を選んで行う、純粋に『党利党略』による解散が批判されることは言うまでもない。特に北朝鮮情勢が緊迫するなか、国民の安全を図ることを最優先すべき時に、多くの時間と労力を選挙戦に費やすことには大きな疑問を感じざるをえない。このような時期に解散を行った安倍首相による判断それ自体が、選挙戦の争点の一つになるであろう。

今回の選挙は、ある意味で『首相の、首相による、首相のための』解散と言える。世界的な趨勢を見る限り、議院内閣制の祖国である英国を含め、首相による解散権に一定の制約を課す傾向が強い。今後、首相による解散権行使の条件について、あらためて考えていく必要がある。

しかしながら歴史の女神は時として浮気である。『勝てる時に解散した』つもりの首相の意図が、実現するかはわからない。思いがけない結果をもたらす可能性も十分にある。少なくとも以下の『副作用』はありうるのではないか。

まずは、このことが野党の側に、ある種の覚悟を促すことだ。今回、前原誠司新代表の下で再出発した民進党は、幹事長人事を巡る混乱と、細野豪志議員をはじめとする離党議員の続出にあえいでいる。しかしながら、選挙が差し迫るなか、あらためて民進党の議員は自らの属すべき政党についての決意を迫られる。結果として、民進党は身を切ることで政党としての一体性を再確認するのではないか。

同時に検討されている新党構想についても、一定の見通しが得られるであろう。結成される新党が、いかなる原理原則を持ちうるのか、与党補完勢力なのか、あるいは第三極かを含め、疑問は尽きない。これらの点について、早い時期に結論が得られることは、悪いことではない。

野党連携についても議論が進むだろう。野党による連携の欠如が、これまで与党を利してきたことは明らかだ。今回の解散劇は、共産党との連携を含めての野党の選挙協力を、あるいは当事者の思いを超えて加速させる可能性がある。『首相の、首相による、首相のための』解散がいかなる結果をもたらすか、『副作用』を含めて見守りたい」。

コラムの主旨である「衆院解散の副作用」に異論がある。28日の臨時国会冒頭解散・総選挙は政権選択選挙である。野党共闘も小池新党も準備不足である。そもそも、国民に政権交代の機運がない。内閣支持率50%の安倍晋三首相が国民に信を問う総選挙で、信任されるのは必然である。政権与党の圧勝であり、副作用などありえないが。

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