2017年6月15日 朝日「日曜に想う」 曽我豪・編集委員「『分断』の政治つなぐ者どこへ」
朝日の「日曜に想う」に曽我豪・編集委員が「『分断』の政治つなぐ者どこへ」を書いている。
「本来、国会は多くのことが出来る。2003年5月。有事法制で小泉純一郎政権は、野党第1党の民主党と修正合意にこぎつけた。与党は都合3度目の国会まで継続審議を重ね、民主党は後に国民保護法制に結実する国民の人権保護策などの対案をまとめた結果だった。
衆院の特別委員会で当時、それぞれ与野党の筆頭理事だった自民の久間章生、民主の前原誠司両氏はその直後、朝日新聞のインタビューで存分に語っていた。
前原氏は『政府・与党が修正協議に乗ってきた時に逃げてはだめだ。批判していれば楽だが、野党は覚悟を持たないと政権を取りに行く政党とみなされない』。久間氏とは心中するつもりでやり、安倍晋三官房副長官(当時)にも電話した。
久間氏は『有事法制の話をすることすらタブー視された当時から比べると、隔世の感がある。与党だけのギリギリで通るようだと、後々行動する人の士気にも影響する』。最初から前原氏に合意案の直球を投げ、自分が責任を持ってゴーサインを出すと告げたという。
今は多くのことが出来ない。安倍政権が再登場して以来、隔年で同じ政治の風景が繰り返し現れる。2013年は特定秘密保護法。15年は安保法制。この17年は共謀罪だ。
法律の中身は違っても、事の本質は同じだ。煎じ詰めれば、野党の反対論はこうだろう。言論や集会の自由、不戦といった戦後の日本が大事にしてきた民主主義の価値や原則がゆがめられようとしている。権力の恣意的な判断によって法律の拡大解釈がなされ、監視国家や戦争への道が開かれてしまうのではないか。そこへ、採決を強行する『一強』の安倍政権の姿が二重写しになる。
徹底抗戦する野党にすれば、修正協議など、権力に塩を送る不実な妥協としか映らない。どうせ野党は反対するだけだと切り捨てる与党にすれば、継続審議など、無用な時間の空費としか思えない。
その結果、一番の被害を受けるのは誰だ。法律の問題点は修正されず、つまり国民に一定量あると思われる不安も消せぬまま、国会は閉じられてきた。
隔年でと書いたが、これは偶然ではなかろう。安倍晋三首相は、12年の衆院選と13年の参院選で『一強』を固めて特定秘密保護法を成立させた。14年の衆院選で固め直して安保法制を仕上げた。そして、16年の参院選で改憲に必要な3分の2の阻止を訴えた野党を押し返したうえで、いままた、共謀罪に続いて、宿願の9条改正へ向けて17年中に改憲案をまとめようとしている。
あつらえたかのように、すぐの7月には東京都議選がある。すでに離党の相次ぐ民進党は惨敗が予想されている。全面対決→採決強行・成立→選挙でリセット。これもまた、繰り返されるのか。
修正合意当時、前原氏は41歳、久間氏は62歳だ。若き民主党には、政権交代に向けて現実の担当能力を示したいと願う情熱があった。老練な自民党には、数の力だけで押し込む政治は歴史の審判に堪えないと考える知恵があった。
1992年成立のPKO(国連平和維持活動)協力法はどうだ。宮沢喜一政権は、前の海部俊樹政権でいったん廃案になった法律に再挑戦し、継続審議を経て当時野党の公明、民社両党との間で粘り強く協議を続けて、国会承認という歯止め策を講じることで修正合意した。
国会を機能させる条件は明らかだ。野党には、対案を出して実のある修正を得る責任意識が必要だ。与党には、辛抱強くそれを待って、時には双方頭を冷やす間隔をあける寛容の精神が必要だ。
さらに大切なのは、ともすれば左右や賛否の両極に分かれがちな政治に対して緩衝剤や歯止めになるブリッジ勢力である。PKO協力法での公明、民社の小政党や有事法制における久間、前原両氏はまさにそういう存在であった。
与野党がただ相手をののしり、合意点を探そうと中庸をゆく者が孤立する。隔年で繰り返される寂しい政治の風景の中には、国民の不安の払拭に意を尽くすブリッジが見当たらない」。
コラムの主旨である「『分断』の政治つなぐ者どこへ」に異論がある。
「分断」の政治の最終段階に至ったからである。安倍晋三首相の2020年に9条改正の施行をとの提案が、である。自民党の党是である憲法改正の本丸である9条改正を国民投票の過半数の賛成で為すとの、である。左派メディアと野党の護憲勢力との全面対決となる。60年安保闘争以来の政治決戦となる。「分断」の政治に終止符を、である、改憲勢力の圧勝となるが。