2018年9月22日 朝日の社説に「沖縄知事選」「『辺野古』を論じよ」
「知事に辺野古移設阻止の権限なし」
朝日の社説に「沖縄知事選」「『辺野古』を論じよ」が書かれている。
「翁長雄志氏の死去に伴う沖縄県知事選が告示された。
安倍政権が全面的にバックアップする前宜野湾市長の佐喜真淳氏と、翁長県政を支えてきた『オール沖縄』勢力が推す前衆院議員の玉城デニー氏との、事実上の一騎打ちだ。
選挙は、ただひとつの争点をめぐって行われる住民投票などとは違って、さまざまな要因が絡みあう。この知事選でも、本土に比べて依然として立ち遅れている県内経済をどうやって発展させていくかや、福祉・教育の充実、離島の振興など、論ずべき課題はたくさんある。
ただ間違いなく言えるのは、政府が進める米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の行方に、選挙結果が大きな影響を及ぼすということだ。だからこそ政権幹部らが次々に沖縄入りして票固めに奔走している。
玉城氏は辺野古に新基地を造ることに反対を明言した。一方の佐喜真氏は賛否を明らかにせず、県による埋め立て承認の撤回についても『流れを注視する』と述べるにとどまる。告示前に開かれた2人の討論会も、結局かみ合わなかった。
思い起こすのは2月にあった名護市長選だ。政権の支援を受けた新顔候補は、辺野古問題に明確な姿勢を示さないまま当選を果たした。『辺野古隠し』との批判も多く聞かれた。
選挙戦術としてはありうるのかもしれない。保守・革新のイデオロギーを超えた集まりであるオール沖縄側にも、共闘を維持するために、踏み込むのを避けているテーマが現にある。
しかし、『辺野古』が問いかけているのは、基地建設の是非にとどまらない。
憲法が定める地方自治とは何か。中央政府と自治体はいかなる関係にあるのか。過酷な歴史を歩み、いまなお重い基地負担にあえぐ沖縄の荷を軽くするために、本土は何ができるのか、何をなすべきなのか――。
知事は基地建設にかかわる多くの権限を持ち、この先、県が進む方向を決めるかじ取り役である。全国の関心が集まり、今後のこの国の姿をも占う『辺野古』に、どう向きあっていくのか。考えを明確にして、論戦を深めてもらいたい。
改めて思うのは、くり返し示された民意を無視して基地建設を強行する一方、自らの意に沿う動きをする勢力には、経済振興の予算をしっかり手当てするなどして、沖縄に深い分断を持ち込んだ政府の罪深さだ。そうした政権の振る舞いもまた、審判の対象となるだろう」。
社説の主旨である「辺野古を論じよ」に異論がある。
13日、沖縄県知事選が告示され、安倍政権が全面的に支援する前宜野湾市長の佐喜真淳氏と故翁長氏の後継としてオール沖縄が推す前衆院議員の玉城デニー氏との一騎討ちとなったが、争点は何か、である。玉城氏は、辺野古に新基地を作ることに反対を明言し、辺野古移設の是非を争点化にと躍起だが、佐喜真氏は、辺野古移設への賛否を明らかにせず、県による埋め立て承認の撤回についても「流れを注視する」と述べ、県内経済発展の是非を争点化にとしており、論点がかみ合わない。
問題は、3年9カ月の翁長県政の是非こそが問われるべきだからである。辺野古移設阻止一辺倒の翁長県政の是非がである。翁長氏の遺訓として県は米軍普天間飛行場の移設のための辺野古埋め立て承認を撤回し、国が進めてきた埋め立て工事は一旦停止しているが、国が工事の再開を求めて撤回の執行停止を求めれば、撤回が非となり工事が再開される。知事選で、いずれが勝とうともである。16年12月の最高裁での辺野古訴訟で、埋め立て承認を取り消した県の敗訴が確定しいているからである。外交・安全保障政策を担うのは、首相を長とする内閣であり、自治体の長である知事に覆す権限は一切ないとの判決である。結果、移設工事停止は違法となり、工事は進捗するとなるが。仮に玉城氏が勝っても、移設工事は停止できず、進捗する。辺野古移設の是非は争点化すべきではない。法的に決着がついているからである。