2015年10月20日 毎日「琉球新報から『辺野古承認取り消し』」「普通の人権、沖縄にあるか」(普久原均・論説副委員長)

「民意が割れている」

毎日に「琉球新報から『辺野古承認取り消し』」「普通の人権、沖縄にあるか」(普久原均・論説副委員長)が載っている。

「沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の代替となる同県名護市の辺野古新基地建設を巡り、翁長雄志知事がついに前知事の埋め立て承認を取り消した。これに対し防衛省は、取り消しの効力を止める執行停止申立書と、取り消しの無効を求める不服審査請求を国土交通相に提出した。

全面対決の様相だ。もはや国と県の単なる意見の相違ではない。基地問題にとどまらない。沖縄が政府の命令に隷従するだけの存在か、自己決定権と人権を持つ存在なのかを決める尊厳を懸けた闘いなのである。

経緯を振り返る。前知事の仲井真弘多氏は普天間の県外移設を公約にして当選した。2013年末、突如として公約を翻し、新基地建設の埋め立てを承認した。病気と称して東京都内の病院に入院し、病院を抜け出して菅義偉官房長官らと密会した揚げ句のことだ。政府がどう説得したかは知らぬ。いずれにせよ民主主義的正当性と透明性を欠く承認だった。

翌年、辺野古を抱える名護の市長選も市議選も反対派が勝利した。知事選は仲井真氏が現職としては前代未聞の大差で翁長氏に敗れ、衆院選は自民が全選挙区で敗れた。民主主義の手続きとして、沖縄はあらゆる手段で新基地反対の意思を示したのである。

だが政府に、民意をくむ姿勢は小指の先ほどもなかった。沖縄は、民意を聴く対象ではないと言わんばかりだ。これを許容するなら、日本は地方分権どころか、民主国家ですらない。

とはいえ実は政府のこの姿勢は今に始まったものではない。05年の在日米軍再編協議の際、今の辺野古移設案に決まる前に、米側が在沖海兵隊の関東や九州北部への移転を打診したことがある。日本政府は応じなかった。当時、筆者は防衛庁(当時)首脳に、なぜ検討しないか尋ねた。答えはこうだ。『本土はどこも反対決議の山。どこに受け入れるところがあるか』

実際は、反対決議をしていたのは沖縄の議会だけだった。そもそも移転案を政府が明かしていないのだから他県では知る由もない。本土では移転案を打診のはるか手前で退けるのに、沖縄では反対決議があるのに強引に押し付ける。筆者は当時、これを『ダブルスタンダード』(二重基準)と書いたが、『辺野古が唯一』と繰り返して沖縄だけに押し付ける政府は、実は戦後一貫してきた国の姿勢を先鋭化させたのにすぎないのである。

沖縄では戦後、米軍の戦闘機が小学校に墜落して児童多数が死亡し、赤信号を無視した米兵の車に中学生がひき殺されても、『太陽がまぶしかった』という理由で無罪になった。米軍による辛酸を、どこよりもなめた地域である。

その地域が拒み続けているのに、政府は新たな基地を押し付けている。たとえて言えば、あの過酷な原発事故の後、地元の町長も知事も反対しているのに、新たな原発建設を福祉まで強行するようなものだ。沖縄以外では不可能であろう。沖縄は、今後もこの位置付けを甘受するか否かが問われているのである。

決着はいずれ司法の場に持ち越される。我が国の司法は安全保障面では判断を避けるのが常だから、今回も沖縄にとって厳しいと予想される。だが、ことは人権に関わる。『人権が普通の人の半分でいい』と言う人はいるまい。中途半端な妥協はあり得ない。

地域の将来像を自分で決める。民主主義を適用し、投票結果が尊重される。そんな最低限の人権を獲得できるか沖縄は問われている。同時に、日本が人権と民主主義をあまねく保証する国であるのか、特定の地域は民意を聴かずしてよしとするのか、全国民が問われてもいる」。

琉球新報の社説の主旨である「普通の人権、沖縄にあるか」に異論がある。あたかも、沖縄県に人権と民主主義がないかのようである。

問題は、政府の辺野古新基地建設自体が沖縄県民への人権侵害だと主張していることである。県民の民意が新基地反対だからが根拠である。13年の県知事選で10万票差で反対派の翁長氏が勝ち、14年衆院選の4小選挙区で自民党が全敗したからであるが。その差は僅差である。県知事選の10万票差は与党の公明票が流れたからであり、小選挙区で負けた自民党議員は全員比例復活当選している。新基地反対と賛成の民意は拮抗している。民意が割れている。「普通の人権、沖縄にあるか」は、根拠なく、ウソとなるが。

pagetop