猪口邦子インタビュー全文

猪口邦子の語る料理

インタビュアー:
プライベートでの癒しの時間は?

猪口邦子氏:
二人だけの時代。主人が研究者をしていて、国際的な共同研究をやっている非常に若い時代の主人の姿があって、その時まだ中々日本に研究者が来ない時代でもあったんですけれども、来たらフルコースでおもてなしをしました。フルコースでちゃんとメニューを作って、最後もの凄い忙しかった。自分も研究者であったし。

それで、デザートくらいは買っちゃうこともありましたが、でもよくフルコースでご飯を作っていました。今でもそういうふうにしたいと思って、今後また。

政治家になってしばらくは余裕がなかったですけれども、国際的な関わりというのは主人も今は学長をやっていてすごく沢山あるし、自分も国際的な在郷大使との交流や、海外から議員が来ることもあるので、(もしも)自宅でおもてなしが出来るなら、一番深い良い友好関係が築けるかと思って、またそういうことをやろうと考えて、しつらえなどやっているところです。

インタビュアー:
得意料理のジャンルは?

新婚の時代、ジュネーブ暮らしでジュネーブ大学にイエール大学から国際留学した。主人がジュネーブ大学の客員教授だったんです。二人で新婚生活を始めたのがジュネーブだったので、ジュネーブの友人に教えて貰った料理が多くて、 結局、フランス料理とフランスのコースメニューの作り方を習っているが、それ以外はなかなかできないです。

和食も好きだが、スポット的には作るんです。

義理の母がよく新潟だとよっぺなどの作り方を教えてくれて作れるけど、なかなか全体の設えとなると和食は大変。本当にプロの水準、板前のような心得があれば良いと思うが。フランス料理もそれなりに大変だが、若いときからなんとなく慣れているので。

そうやって昔交流した研究者達が皆それぞれ立派な研究者になって、全米政治学会の会長も家の応接間から出発してくれて、あのときあそこが原点だといってくれる人もいて。
それは自分の癒しの時間だった。

プライベートの楽しい部分だが、同時に結果として(研究者としての)職業を助けたという面があったと思う。それほど研究者同士で深い交流できるサロン的な機能を果たしたと思う。

小さなアパート、マンションから始めたが今でも、最初結婚してようやくかなり遠いところに小さなマンションだったが、夕食会をきちんと開こうと、大きなテーブルを入れて、シーテッドなディナーをしつらえた。そしたらそれに参加するために2時間くらい都心からかけて、大使館の方や学者の方が来てくれて励ましを貰った。本当に来てよかった、是非また来たいと言われ、若いときに励まされた経験を大事にしています。

そんな大したことはないが、ピアノや音楽を聴いたり、他愛のない話をしたおしゃべる。
それぞれでゆっくりとした時間を過ごすことも良い。気軽な友達同士、喫茶店で会って話してもよいが、家に来て話すことも多い。ガーデニングも好き。マンションだがルーフバルコニーがあって、そこで大きな木が沢山育っていて、新しい花や、ハーブ類も沢山生えている。

一昨日も鶏肉のハーブ焼きをしたが、庭からハーブを取ってきておいしく出来たよ、相当。

チキンを綺麗に洗ってよく拭いて、塩・こしょう、ガーリックで味付けし、オーブンで焼く。とにかく上手に焼き上げる。グリービーというものを作るのね。

それは、落ちる肉汁が落ちるでしょう。それを取ってそれでとろみを小麦粉のようなものでつけて、これでフランスだとソースになるんですけど。アメリカのロスチキンのやり方だとグリービーで十分なんです。この方法は本当にオススメなんです。ロスチキンを作っている間、付け合せの野菜類、例えばグリーンピースを茹でたり、マッシュポテトを作ったりする。オーブンの火を使うので、同時に「グラタンドフェルマ」という料理があるんですけど、薄くじゃがいもをスライスして、牛乳、生クリーム、ブラックペッパー、若干の塩を層にしていくんです。そのままオーブンに入れちゃうんです。冷蔵庫に事前に作っておいてオーブンに入れてもよいんです。それを常温にして焼くんです。
そうするとロスチキンが出来上がるタイミングでグラタンも出来上がりますね。これはとてもよい付け合せの料理です。美味しいよ♪

猪口邦子の語る年齢進行表

猪口邦子氏:
子供には皆年齢というのがあって、年齢進行順に必要な施策が変わるんです。それをセットで、皆で理解して、自分が思い入れることが出来る政策をそれぞれの議員がしてくれると全体でバランスの取れた少子化対策になると思うんです。
経済対策だってよくパッケージという。貰いたいサプライを一気に増やすだけとかそういう議論だけではなく、答えは一つではなくパッケージでやる、それと同じだと思うんです。

年齢進行順、最初私がやったころは妊婦健診が有料でした。今は完全無料化しましたからね。あと不妊治療も不十分でした。あと、給付金を改善するとか子供の医療費を全国一律化した方がよいと思うんです。うんと低額にして。完全に無料とはいかないかもしれないが、1割あるいは1割以下の負担で(出来るようしたい)。

インタビュアー:
自治体によってもだいぶ違う。

猪口邦子氏:
その通り、あっちだったら全部無料で、こっちだったら2割とか3割負担でおかしい。
よくご存知ですよね。幼児教育 待機児童 のサービスですとか。
子供は年齢進行順に保護者として希求する政策が変わってくるということよ。

(そういう先々 このことになったら保育園のことも いいじゃないのと思ったりするんだけど)
政策としては年齢進行順の総合的なパッケージで容易しないと、結局すべての人の困っていることの解決にはならないということ。あるこの部分を解決したとしても、先々うんと困っちゃうということ

猪口邦子の語る小泉総理

インタビュアー:

猪口邦子氏:
一人の人として研究者・学者を目指し、且つその時代といいますか、希求して得がたい社会的な立場、それが教授という立場だったんです。

それを半ばにして国会議員に転じる、これはものすごい覚悟が必要でした。その背景にあった理由というものは、私はずっと学者で研究と教育に勤しんで、あるときに始めてフルタイムで実務に就く機会を与えられた。それがあるとき軍縮大使というジュネーブでの軍縮会議での日本政府代表部匿名先遣大使という立場だったんです。

それを2年間ジュネーブで暮らし、日本の軍縮大使として軍縮会議の議長をやりました。小型武器での分野での国連議長をやったり。そういった仕事をしました。

この時はやはり24時間自分の実務に明け暮れて心を注ぎ込んだということです。実務に就くときはこの覚悟が必要です。なぜかというと、その地位は一人しかなく、その機能によって多くの人の命や運命が左右されていくから、全てを実務に捧げなければないと思ったんです。

そういう風に2年間一生懸命やって戻ってきたんです。そのときに研究者として問題を指摘して、どなたかがそれを読んでくれて、納得してくれてそれで社会を改善すると。これをずっと待ち続けるというのも、これがもし自分が30代であれば、そこを思ったかもしれないけれども、後に時間との戦いとなると思ったんです。

例えば軍縮という使命に失敗すれば、その軍縮の失敗から亡くなる人や傷つく人が沢山いるわけですよ。軍縮というのはNever ending missionのようなもので、ずっと終らないmissionであり、実務とはそういうように大変なものだが、なんとかそこでより良い成果を出して少しでも人の運命を好転させなければならないと。こういう観点からの仕事をやはりやり続ける必要があると思ったんです。

日本には軍縮が上手くいかなくて、例えば小型武器の非合法の取引を止めたり、非合法製造物を回収することを失敗した結果、人が沢山亡くなるという自体はない。

つまり、軍縮・軍拡の被害者が必ずしも日本に存在するわけではないかもしれないが、日本の女性や子供たちは、別のことで苦しんでいるに違いないと思ったんです。因みに非合法武器の被害者の7割は女性や子供なんです。

普通は男性の武器の被害と思うんですけれども、私が取り扱った非合法武器の完全軍縮という課題における犠牲者の7割は女性と子供だったので、被害者の救済のことや軍縮取締りのことをやったんですけれども。

結局、テーマは違えどやはり女性子供の大きな問題というのは日本では何なのかというふうに段々、大学に戻ってから考えるようになったんです。

その時(2005年8月)に小泉純一郎総理(当時)から郵政解散したその日に「国会議員への道を考えてくれないか」というお誘いを受け、改革と新しい政治の波を作るという小泉総理の想いに、自分もはせ参じるという決意を致しまして、出馬したんです。

その背景にはやはり軍縮大使として2年間実務に向き合ったということと、地域が違っても日本にも同じような政治として克服すべき深い問題があるだろうと思って実務家に転じたと。立候補の人となったと。

選挙後の6週間後に少子化大臣に任命され、実はそこが正に思っていた問題だと。
つまり、自分が大学で教え始めたときに、輝く才能を持つ女子学生達が結局は仕事と家庭が両立出来ずに、全員殆ど家庭に入って、仕事場に戻ることが二度となかったような状況を見てきたので、この状況改善すると。それは別の形の大きな苦労だし、ある意味女性だけが味わっている苦労だし、こういったことを改善したい。完全に解決は出来なくとも、改善しようという努力の中に、少子化大臣の時代もあったし、今は自民党で人口減少社会対策特別委員会の委員長なので、引き続き大臣を終えても、生涯ずっと何らかのキャパシティの中でそれをやり続けると。

インタビュアー:
小泉純一郎総理から直々にお声が掛かったのか?

猪口邦子氏:そうですね。官邸に話に来て欲しいという依頼があったんです。必ずしも期待に沿えるかわからなったが、伺う決意をして、伺った時に、私がそこまで歩んできた、大学研究者・教授としてのその歩みというものを非常に大事に思ってくれた。

つまり「研究者という仕事はとても大事だ」といって下さった。それはとても重要な一言だったんです。普通であれば研究者は机上の空論をやっているんだろう、もっと本当に役立つことをやるべきだというのが普通の説得の仕方だと思う。
ところが、小泉総理は天才であって、その人の歩んだ道を評価した上で転身を示唆した。

「今までの事がなんとなく曖昧にされるのではなく、それが貴方の持ち味だと、人には皆持ち味がありそれを生かして持ち寄って一番良い仕事をするのが国会というところ。研究者として仕事も立派だが、国会議員として仕事は尊い仕事、やってみないか」
と言われた。立派な立論だと思った。一人の人を必死に、そこまで歩んできた一人の人間と向き合う時の、たった5分程度の時間で、一瞬の真剣な立論は素晴らしいものでした。私はその人のリーダーシップの下で、政治という自分の国益のために働く仕事をやろうと決意して今日に至っている。

インタビュアー:
もしかしたら小泉さんでなければ・・・

猪口邦子氏:
その立論できちっと説明できなければ、物凄く沢山の責任を背負っている一人の人の、私は、私立大学における最初の女性の法学部での助手だったし、専任講師だったし、最初の女性の助教授・教授・学科長でもあったんです。

大変重いものを背負って、その中で沢山の大変な事を乗り越えながら、自分よりも更に大変な思いをしている女子学生達の運命を見ながら、そこまで歩んできた。その人に向かって言う一言は、どういう人との場面でも大事だろうけれども、言葉の真剣勝負の瞬間であった。

政治の場はそういったことが沢山あることが後に判ったが、政治は「言葉で人の運命を良いものに転換したり、この国の為にその人を活かしたりすることを促す場面」でもある。

それはよくみんなに大臣職を約束されたんだろうと言われるが、そういうことで人の運命を変えることはできないということなの。何をやるとか、何のポストとかそういうことではないの。そのときの情熱や必死の生涯をかけた戦いに臨もうとしているわけじゃない?
その時代の空気・意気込み、時代精神みたいなものに揺さぶられるものがあるんです。
それで政治が動いていくんです。

わたしを政治家に転身させたことは小さなことだが、小さな中に大きなものの本質が入っているということ、そういう瞬間だったんです。それ以来わたしは小泉総理を尊敬していて、今でも小泉総理に近況報告を欠かさず、どういう立ち回りをすればよいかなど教えを仰ぎたいと思っている。

そういうことについて私はぶれない人である。私を政治の世界にしっかりと導いてくれたのは小泉総理なので、私の前で小泉総理の悪口は駄目だと皆分かっているよねと、そういう風に私はブレない人なんです、私。

猪口邦子の語る若者の結婚

猪口邦子氏:
抜本的原因、つまり一つの答えを求めてますよね。それが経済国家の質問。つまり経済学には一つの答えがあるんです。

しかし、少子化や環境問題など、社会政策的な分野、ここには沢山の答えがあるんです。人の困り方は多様であり、答えの在り方も複数。それらを組み合わせることでテーラーメードな答えをすべての困っている人に提供出来るとか。そういう発想が大事なんです。

でも、重要な理由の順序があるだろうと。

そこは例えば根本的にはこの国では、まず家庭と仕事が両立しにくいということがある。例えば子供はいらない、結婚したくないと思っている、そうであればそれは、その人がそう思っている事実があるんだけど、日本の場合は結婚したい、子供も欲しい、だけれども希望と現実との間に乖離が非常に大きいということですね。

これは社会的、政治的に解決が可能な部分なんです。私が目指すのがこの乖離がゼロの社会。
持ちたい子供を持てる社会。どうして乖離が起きるのか、それは出産すれば会社辞めてといわれ、育児休暇も実際には言い出せば甘い考えだと言われるだけです。

法律を通すことは一つだが、考えを主流化しなければいけない。つまり男女共同参画であるとか、育児休業は当然取得すべきものであって、1歳になったら今度は保育園にちゃんと入る社会を実現するとか、仕事をまた続けていける社会にしないといけないとか、働き続けることが可能な選択肢がないと駄目。それを実現しなきゃいけない。

この社会はそこをずっと周辺的なこととして扱ってきたんです。所詮女子供の世界の話で、予算も政策の重点化もあんまり置かれていない。でも、若い世代の課題であり、若い世代に問題があるということを政治は認識していないわけです。若い世代のことは丸ごと周辺化しているんです。これが最大の問題です。これを是正しないかぎり、別に女性子どもの問題ではなく、若い世代全体が周辺化されている政治の中でこの国の未来がある訳がない。

そのことに皆が気付いて、男女共同参画とか少子化対策は国家の最重要課題ピリオドである。最重要課題の一つではない。最重要課題だということを大臣として主張して、それでそういう主流化が出来れば政策はついてくる、だったら何が大事かという質問になるわけです。そうでなければ質問が来ないわけです。いったいどうして少子化がきてしまったのかという質問自体が来ることが主流化が出来たということなんです。だったらみんなが考え始める。

そしたら保育園が足りない、あるいは育児休業が取れない、取ったとしても1歳には保育園が満杯で0歳から枠取りで預けないといけないとか。休業中の給付が半分で。今雇用保険からでているから、であれば男女間の賃金格差がある。まだ先進国として恥ずかしい状態なんですけど。

賃金が半分であれば結局賃金の安い方が休む。男子が取得することが少ないというのは賃金格差によるもので、旦那さんが育児休暇を取得して、給料が半分なると生活出来なくなるということ。だから女性が休むか仕事を辞めることになる。そこを改善して、賃金格差がないようにとか、給付を5割ではなく7割(付与)になれば、ご主人であっても取得できるかもしれない。こういう政策のためにどのくらの予算が必要かといえば、それは(実は)そんなに巨額な予算ではない。1兆円も必要ない。

90兆の予算が組まれているこの国で、それが出来ないのはどういうことかと。それが段々変わりつつある。変わりつつある勢いになっています。
私が大臣になって1年足らずの大臣であったが、6、7年かかってようやくここまで来たという感じ。

今の若い人達の就職が流動化しているから、すごく先行きの自信が持てず結婚先延ばしとなる。そこは日本男児は責任感が強くて、別に就職があってもなくても好きな人と結婚するとはなかなかならない。どちらかが正社員にならなきゃとか、一応年収がどのくらいとか、そのことを思っている内にうまくいかなくなっちゃうこともあるでしょ。待ち過ぎることもある。

なので、若い世代の雇用を拡充することと、賃金水準を上げること (この2つ)で少子化の大部分を改善できる。

ところが今、むしろ退職年齢をあげることによって若い新規採用や新卒を良くしろという流れも出来ているので、やはり若い世代側に立って発言する勢いが必要です。

自民党で人口減少社会対策特別委員会の委員長をやっていると、1月,2月くらいに立ち上げて、6月で中間整理をすると、最初のうちは女性議員が沢山来てくれた。そのうち2、3ヶ月経つと、とにかく時間前にわーっときてくれるの「男性議員」だった。これはすごく不思議な光景だった。男性議員の若い議員ばかりが沢山来てくれるようになって、まさに男女共同参画で自分たちの世代のことであって、女性の問題のことではないという意識転換も進行中なんだと思いました。絶対損しちゃってるんですよ。若い世代の人たちごと。今の政策の優先順位でいくと。

だから、一生懸命やってくれているので、自分たちの世代としてこれを牽引していくのが当然だと、若い世代が思ってくれたと思うんです。

そういう勢いが出来てくれば、個別の政策、例えば不妊治療の助成額が少ないとか細かいこともあるので、先々の教育費も律儀だから先のことはどうにかなるよではないんですよね。この子を大学までいれるとなると3人目は無理かということを考えてしまう。そうであれば、給付型の奨学金でこの制度の導入を先進国で日本がないので現在努力をしている。そういう課題も解決出来る。数百億円で可能なので私は、この機会にやるべきだと考えているんですよ。

猪口邦子の語る職業選択

猪口邦子氏:
色んな自分の想いがありますけれども、一つには5年間海外で子供時代を父の仕事のために過ごすことになったということで、子供は非常に文化的な影響をすぐして色々なものを吸収するんですけれども、どこかに非常に大きな色んな疑問が沢山あるので、それを解明したいということ。

例えば私はこども時代を5年間ブラジルで過ごしたが、目の前で民主政権が崩壊して軍事政権に変わるという場面だったので、「民主政権が何時・如何に崩壊するものなのか」と、私はこんな質問に答えたいと思って、後にイエール大学に入って書いた始めての論文がこの題名でした。

この論文でAをとって、本当にラテンアメリカの専門家の教授に褒められたのでよく覚えてますけれども、大学3年の頃だったのでそこまではっきりとした強い決意ではならなかったですけれども、“いくつかの質問に答えたい”という想いはあって、それを答えるには新聞記者になるか、実務家になるか、あるいは研究者になるかで、私の時代は余程の運と才能がないと、キャリアの職業は難しい時代であって、父も「女性だったら学者になれ」とずっといって育ててくれたので、それを思い出して研究職かなと。

上智大学には立派な教授が何人もいらして、研究者として手本となるような先生方に何人もお会いしたので、ごく自然な選択であったように思います。今ほど女性が(職業を)選べる選択肢が多くなかったんです。研究者であれば書くものによって評価される。当時は女性の差別も根強い時代だったが、私は書くものを通じては男女差別はないだろうと思ったんです。ある一冊の本でこれは女性の筆者だからまずいといったことはないと思ったんです。また勉強することが好きであったので学者になったんです。

インタビュアー:
やはり海外で生活された原体験があってそういった考えに至ったのか。

猪口邦子氏:一つにはそういう色々な文化の混在する中で、日本の自分の核となるものを大事にしたいということはありましたし、やはりいろいろな文化、あるいは思惑が交錯する中で、そこで成功していく必要があると、これはまさに国際政治そのものなんだろうと、小さな教室の中にある国際政治だったのかもしれないですね。

そこで自分がまさに名誉ある地位を占めていかねばならないというのは国際政治そのもので、小さな多人種の教室で、多人種とはいっても私はその学校で許可された最初の日本人なので、日本人は入れないという学校であった。

インタビュアー:
現地のスクールに行かれたということか?

猪口邦子氏:アメリカ系の学校だったんですけれども。デモクラシーの国として入れてくださいと、試験を受けさせてくださいといって生徒になったんです。

最初の1年は英語の問題があったと思うんですが、とにかくずっと学年1番で父の海外勤務が終るまで維持していた。ものすごい決意で勉強していた。それは戦後殆ど日本人が海外に出ていない時代でした。その中で、日本に対する差別とまではいかないが、区別のような感じの中で子供時代を生きた時にごく普通に立派な子供でありたいと思っていた。子どもとしても。子どもの分が勝つようにきちっとしたいと思っていたんです。

子供はみんな、「大人を超える」ある意味そういう面を純粋に持っています。子供は馬鹿に出来ない。子供こそ最も深く純粋に人間社会の希求すべきものの本質を持っているの。
ただそれが大人に見えないだけで。段々大人になるとあいまいになる。皆かつて子供であったわけだから。

猪口邦子の語るおぎゃあ口座と給付改革

猪口邦子氏:
まず、少子化対策で困っている場面を助けようとおもったら、そこには政府の考え方で、官僚的な言葉になるかもしれないが、要するに現金給付か現物給付可という言葉があるんですね。

わかりやすくいうと、要は経済的に困っているのか、それとも手(サービス)が無くて困っているのか、この二つなんです。どちらもバランスよくある方がよいと思うんです。

私が大臣になったときに、最大の問題はまず子供を生むときに40万円掛かるということ。そのお金は親掛かりになるか、なれない人たちはどうするんだろうという大きな問題なんですよ。

だからまずは出産の費用を無料化に近くしなければならないと。これが出産育児一時金の給付を拡大することと、あと帰還払いにするので、今までも3~4ヶ月に旦那さんの講座に振り込まれるということがあったんですけれども、とりあえず30万を用意する必要がある。それがとても出来ない若い夫婦、カップルが多いのでこれを事実上無料化するとしたんです。

それから今度、生まれたらこの児童手当の拡充をやって、一律一人1万円の児童手当としたんです。このための財源が2000億円。それでもすごい大変なことだったんですけど。私は、それを通じて若い世代、特に初期の子育て世代には給付が必要だという思想を提示することが出来たと思うんです。

今まではその考えが希薄だったんです。若い世代に給付することこれまで無かったんです。
社会保障給付の7割は高齢世代用で児童家庭世帯は5%くらいだったんです。これはおかしい。

特に乳幼児を抱えていて、3歳未満の子に一律1万円としたが、3歳未満を抱えるということはすごいことですよ。あらゆる出費や不安もある。おそらく若い親にとって一番賃金が低い時期なんです。そこに1万円の給付をすることはまずいことではない。ここで、一定の給付は若い世代にとっても必要なんだという考え。もちろん所得制限等は加えてもよいんですけど。

ある程度それが出来たら、次に保育園が足りないとか現物給付(サービス)の方を今、一生懸命やっているんです。少々時差がかかったんですが、先ずはやはり給付、次にサービスの拡充ということをやってそれが、だんだんバランスが取れてくるだろう。

民主党政権のときに、子供手当てを2万6000円という、これは私が一律3歳未満1万円としたときの、ある種話題になったことを思い出したのだろうと思うが、でもそれは
3歳未満という年齢の限定をつけたということ。それから1万円という節度ある金額としたということなんですよね。
そこが日本の財政赤字の巨額なことを思えばギリギリのラインだと思います。

今回は、子供手当てではなく児童手当の枠に戻して、幼児所得制限がつくようになったんです。
子供手当ては所得制限以外なかったわけだから、別に何億の所得があったって給付がいくということ。これはおかしい。所得再分配機能を政府はやらないと意味がないわけで。
同じ金額をばら撒くのあればはじめから税金をとらなければ良いわけで。再分配しないとおかしい。

なので、所得の高いところには福祉的なものなので給付せず、むしろ困っているところに重点的に給付できる方が正しいわけで、そういうふうな設計に戻しているんです。
且つ児童給付手当を年齢延長して、もっと小学校・中学校までいくようにしたというのが今回の改正なんですけれど。
金額は抑制的で最低減のことをやっているという感じ。本当はもっと出来た方が良いかもしれないです。但しそれは現物給付の予算の充填化をした後だと思います。待機児童などで取り敢えず困るためなので。

効果については、それぞれの家庭でどういうふうにそれを活用しているかということなので検証することは難しいと思いますけれども、私は、乳幼児を抱えているなど特別の事情を抱えている若い世帯、そういう世帯に対してまでも無給付でよいという考え方は取れないと思うんです。

そこは思想的に特化しないと。金額や制約については設けても良いとは思うんですが、若い世帯にも大変な世帯はあるということ。ごく普通の一般的世帯。更に生活保護やいろいろな更なる困難状況をもっているなどはありますけれども、普通に子供を育てようと、3歳未満を抱えている世帯に1万円の給付を当時して、その後延長施策 ※要確認になっていると。

それはよかったのではないかなと。国として最低減の社会正義を果たしたんではないかなと。後はその思想に使用者が答えてくれればよい。1万円で子供にCDを買って聴かせるとか、本代にする、幼稚園の補助に充てるなどして欲しい。パチンコやお酒に使わないでねと、金額には色がついていないから、そこは市民的良識があって福祉政策は活きると思うんだと思うんです。両方から。

あらゆる国家制度を悪用しようと思えば、個人への給付の範囲であればそこまで国家がチェックできるかという問題がありますけれども、そうかといって制度を悪用する給付について、悪用する場面がありうるから一切の福祉をやらないというわけにはいかない。そこは市民的成熟と政策的な先進国の政策の水準とが出会うところで立派な社会が出来るんじゃないですかね。

私としては児童手当の拡充をやったことで、この国に生まれ育つ子供が少しでも良い環境でその後育ってくれていることを願うだけなんです。
更に、実は、給付の仕方について改善出来たらよいと思っていて、ここに書いている赤ちゃんの口座「赤ちゃんおぎゃあ講口座」と当時いっていたんです。

今はご主人の主たる保護者の口座に入るんですがそうではなく、たとえば…子供が生まれたらこの子の名前の口座を作ったらよいと思うんです。 ハナコちゃんなりマコトくんなりの口座をつくり、そこに給付する。それでおばあちゃんやおじいちゃんが皆お祝金などくれたら皆そこに給付する、ハナコちゃん口座だったり受け皿があれば、皆お正月のお年玉だってなんだって、そこに入れる誕生口座のようなものを作れればよいと思っているんです。

今後給付の受け皿を改善して、もっとみんなで子供が育つにはお金がいるのだと、だからそこに自分が出来る範囲で寄付してやろうではないか、隣の子だって良いと思うんです。「●●子ちゃんに今年は10万円を寄付したいと」きちんと申告など手続きをとった上で寄付すると、そういう皆で支えあうようなやりやすい口座作ったらどうかと思っているんです。これをおぎゃあ口座といっている。大臣のとき私は導入出来なかったんですが、今後導入したいと思っているので、手伝って♪

同じ1万円をもらうのにお父さんの口座に給付するのではなく、赤ちゃんの名前の口座に給付する方が絶対に良いですよね。その口座はずっと持っていて、大学などの授業料などに使いたいといった時に、このお金は貴方が幼児のときから、皆が入れてくれたお金なんだと言える。誰がいくらくれたかは覚えてもいないし、記録もきちんとしていないかもしれないけど、とにかく貴方の口座に入っているから、必要なときに自由に使いなさいと言える。皆の力で育ったんだなと。
いいじゃない。みんなのチカラで育ったんだと。

親も何かの時にどんどんこの口座に入れてあげれば良い。移転の制約などあるかもしれないが、法的に移転できる金額の範囲があるので、その範囲で、みんなで口座に寄付してあげれば、国が全部寄付しなくても皆の力でその子に必要な経済的な支えは出来るのではないか。国が全部を出来ないというのが真実だと思う。どうやって皆が、自分が出来る解決を提供するかということ。
皆が主権者であると同時に皆が解決者であると、「解決力。それが邦子らしさです。」は私の評語なんですが、皆が解決者になる、そういう政治を目指したい。

質実合憲で純真な想いを持って、皆が人のために解決者に足り得る時は解決者であろうとする、自分の問題も解決する、でも人がその問題を解決してくれるかもしれないから、自分が解決してやれるものは解決してやろうと、そういう感じで支えあって、水準の高い国をつくっていこうではないかというのが私の政治の考え。

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