2015年10月26日 日経「日曜に考える」「政、その瞬間」「政権参加狙い共闘にカジ」
日経の「日曜に考える」「政、その瞬間」に、「政権参加狙い共闘にカジ」が書かれている。
「1998年、景気低迷で自民党政権への不満が広がり、共産党は追い風の中にいた。2年前の衆院選での躍進に続き7月の参院選は過去最高の15議席を獲得。その前後から、独立独歩の路線を転換していった。
参院選前の6月11日、共産党は野党の民主、自由両党と内閣不信任決議案を共同で提出。不信任案で足並みをそろえたのは16年ぶりだ。共産党委員長の不破哲三は民主党代表の菅直人、自由党党首の小沢一郎と並んで記者会見に臨み『選挙管理的な内閣は3党であり得る』と述べてみせた。
不信任案は否決されたが参院選は自民党が大敗。首相の橋本龍太郎が退陣し参院で自民党の過半数割れが続く中、不破は踏み込む。7月30日の臨時国会での首相指名選挙。衆参で1回目から野党第1党、民主党の菅に投票した。共産党が首相指名選挙で他党の候補に入れるのは初めてだ。
1週間後の8月6日、不破は外国特派員協会での講演で『私たちは野党に甘んじている党ではない』と政権参加に意欲を示した。25日の機関紙『しんぶん赤旗』で日米安全保障条約破棄の主張を一時凍結し、野党の連合政権に暫定的に参加する構想を発表。党内外に波紋を広げた。
根底には70年代の党大会で打ち出した『民主連合政府の樹立』と、小選挙区制反対など一部の課題でまとまる『よりまし政権』があった。不破は橋本を継いだ小渕政権を揺さぶるため、小沢と綿密に連絡を取り合い共闘を進めた。しかし小沢の自由党は99年に小渕と連立を組み、公明党も加わり与党が衆参で過半数を確保。野党による政権取りは大きく遠のいた。
そして2015年9月。共産党は安全保障関連法の成立直後、他党との選挙協力を含む『国民連合政府』構想を発表。一線を退いている不破は『今回は立憲主義の擁護という国民的大義がある』と雪辱を期待する。
<当たり前のことを言っただけだ>
不破哲三・共産党前委員長
講演で『野党で共同政権を作るのはあり得る』という話をしたのは当たり前のことを言っただけだ。綱領では民主連合政府を実現する前でも政権を作る用意があるとしている。自由党党首だった小沢一郎氏とは当選同期で、共闘した1998年の頃は非常に親しかった。政権のことになると血が騒ぐ人だ」。
共産党の「国民連合政府」構想は、98年のリベンジである。98年参院選で自民党の過半数割れに追い込んだが、小沢氏の裏切りにより、自由党、公明党と自民党との連立により、政権取りが頓挫したからである。今回、共産党はその小沢氏と組んでの最後の勝負である。