身近に潜む別世界に触れる
2014年6月2日
山田小百合 - NPO法人Collable 代表 -
「政治家にだけはなりなさんなよ」
当時小学生だった私が、ばあちゃんに唯一忠告されたことだ。そして高校卒業まで九州の片田舎で過ごした私にとって、政治のニュースはフィクションだったし、政治家が同じ空気を吸って生きているとはなんとなく想像し難かった。こうして私は、政治は別世界のものというイメージを持って育ってしまった。
私が代表を務めるコラブルという団体は、障害者の「ために」何かを提供してあげるという価値観から、障害者も健常者も「ともに」参加し価値を生む社会を目指している。決して押し付けず、身近で楽しい、面白いと思える環境を、障害者と健常者の間やその周りにそっと仕掛ける。私はそれを社会のインクルーシブデザインと呼んでいる。
障害者にまつわる問題は、当事者とその近しい人しか議論しないことが多い。多くの人にとって、障害者という存在はほぼ別世界の人に等しい。しかし街中には様々な障害者がいて、同じ空気を吸って生きている。例えば電車の中で声を出したりパニックになったりした人と遭遇した経験のある人はいるだろう。あなたは反射的に怖いと思ったかもしれない。しかし、その現象を障害者への差別や偏見というのは短絡的だと思う。障害者以前に、知らない人が突然声をあげれば誰だって怖いし、自閉症の兄弟がいる私だって怖いと思う。ただ、障害者との良い出会いや共創経験を経ていると「あの人は自閉症かもしれないな」と思うようになる。そんな人が増えたほうが社会はもう少し優しくなると思う。
ワークショップなどを通じて、障害者も健常者もともに何かを生み出すことが、面白く楽しいと感じてもらう経験。それは障害者という存在が「別世界の人」から「共に社会を作る身近な人」に変化するプロセスでもあった。そして次第に障害者という言葉と私との関係がわからなくなる。政治が身近になるプロセスに少し近い気がしている。
ある方に、コラブルのワークショップはバウンダリーオブジェクトだね、と言われたことがある。異なるコミュニティの境界を繋げる作用をするものをそう呼ぶらしい。強制的に押し付けるのではなく、自然と集まりたくなるオブジェクト。そんな活動をたくさん生み出しながら、コラブルという団体そのものを、社会の中のバウンダリーオブジェクトとして育んでいきたい。
当時小学生だった私が、ばあちゃんに唯一忠告されたことだ。そして高校卒業まで九州の片田舎で過ごした私にとって、政治のニュースはフィクションだったし、政治家が同じ空気を吸って生きているとはなんとなく想像し難かった。こうして私は、政治は別世界のものというイメージを持って育ってしまった。
私が代表を務めるコラブルという団体は、障害者の「ために」何かを提供してあげるという価値観から、障害者も健常者も「ともに」参加し価値を生む社会を目指している。決して押し付けず、身近で楽しい、面白いと思える環境を、障害者と健常者の間やその周りにそっと仕掛ける。私はそれを社会のインクルーシブデザインと呼んでいる。
障害者にまつわる問題は、当事者とその近しい人しか議論しないことが多い。多くの人にとって、障害者という存在はほぼ別世界の人に等しい。しかし街中には様々な障害者がいて、同じ空気を吸って生きている。例えば電車の中で声を出したりパニックになったりした人と遭遇した経験のある人はいるだろう。あなたは反射的に怖いと思ったかもしれない。しかし、その現象を障害者への差別や偏見というのは短絡的だと思う。障害者以前に、知らない人が突然声をあげれば誰だって怖いし、自閉症の兄弟がいる私だって怖いと思う。ただ、障害者との良い出会いや共創経験を経ていると「あの人は自閉症かもしれないな」と思うようになる。そんな人が増えたほうが社会はもう少し優しくなると思う。
ワークショップなどを通じて、障害者も健常者もともに何かを生み出すことが、面白く楽しいと感じてもらう経験。それは障害者という存在が「別世界の人」から「共に社会を作る身近な人」に変化するプロセスでもあった。そして次第に障害者という言葉と私との関係がわからなくなる。政治が身近になるプロセスに少し近い気がしている。
ある方に、コラブルのワークショップはバウンダリーオブジェクトだね、と言われたことがある。異なるコミュニティの境界を繋げる作用をするものをそう呼ぶらしい。強制的に押し付けるのではなく、自然と集まりたくなるオブジェクト。そんな活動をたくさん生み出しながら、コラブルという団体そのものを、社会の中のバウンダリーオブジェクトとして育んでいきたい。