2019年8月11日 朝日 社説「あいち企画展」「中止招いた社会の病理」
「憲法第12条違反」
朝日の社説に「あいち企画展」「中止招いた社会の病理」が書かれている。
「人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく。その営みを根底で支える『表現の自由』が大きく傷つけられた。深刻な事態である。
国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展『表現の不自由展・その後』が、開幕直後に中止に追い込まれた。
過去に公的施設などで展示が許されなかった作品を集め、表現行為について考えを深めようという展示だった。芸術祭として個々の作品への賛意を示すものではなかったが、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像に抗議が殺到した。放火の予告まであったという。もはや犯罪だ。警察は問題の重大さを認識し、捜査を尽くさねばならない。
気に入らない言論や作品に対し、表現者にとどまらず周囲にまで政権の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年相次ぐ。今回はさらに、政治家による露骨な介入が加わった。
芸術祭実行委の会長代行を務める河村たかし名古屋市長が、『日本国民の心を踏みにじる』などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫ったのだ。
市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。
菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは『公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではな』」という発想である。
明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。
まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、委縮を招き、社会の活力を失わせるわけだ。
主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。
一連の事態は、社会がまさに『不自由』で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい」。
社説の主旨である「中止招いた社会の病理」に異論がある。
国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕直後に中止に追い込まれたが、その理由は、展示内容に対する脅迫だとされる。朝日は「『表現の自由』が大きく傷つけられた。深刻な事態である』と中止自体を批判するが、本末転倒である。暴力や脅迫が許されないのは当然であるが、問われるべきは、展示内容の是非となる。
問題は、「表現の自由は無制限に許されるのか」である。憲法第21条には「表現の自由」が確かに保障されているが、一方、憲法第12条には国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を乱用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と明記されている。バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示し、慰安婦像が性奴隷として展示されている。明らかに「表現の自由」の逸脱であり、公共の福祉に反している。憲法12条違反である。しかも、国、県、市の税金が投入されている。中止は当然となるが。