高校野球はプロ予備軍ではない。

2019年8月3日 高野育郎 - グループアム代表 -
高校野球。今夏話題の岩手県大船渡高校の選手の話。

アメリカ帰りの32歳の若い監督が決勝戦で、エースで、評判の佐々木投手を起用しなかった。高校野球ファンは、高校最速と言われるピッチングを見ることが出来なかった。

試合は、大船渡高校が盛岡東の前にあえなく敗退した。

佐々木投手は、大会前から、優勝候補に必ずあげられる高校をあえて選ばず、県立高校の仲間で甲子園を目指すとメディアの取材に答えていた。

そして、決勝戦まで辿り着いた。



敗戦後、監督の決めたことですからと涙ぐんだが、監督は、この起用法はあのまま投げさせていたら投手生命を奪い、肩が壊れるというのが理由だった。どんな批判も自分が受けると洒落たことをぬかしていた。

しかし、これはあくまでも次があることが前提。

次があるのだろう。

大学野球、実業団、プロ野球、メジャーリーグ・・・。



そしてチームメートは全戦力で、全力で闘えなかったことに、何を思っているのだろう。

勝負に生きる人間は、一日一生である。

目の前にある機会を逃したら、次があるとは限らない。

現に甲子園出場という目的に岩手県の決勝戦まできて、仲間の前で一球も投げることなく、佐々木の夏は終わった。

人生何があるか分からない。

最高、最強の選手に病魔が襲ったり、不慮の事故で選手生命を失ったり、巡ってきたチャンスを掴まずして、次の好機はない。



今回の監督の処置に関しては、失ったもののほうが大きいように思える。

たとえ、甲子園がかかっていた試合で故障したとしても、全力で向かって敗者となったとしても、今後の人生に夏は美しく輝きつづけるだろうに。

テレビの街頭インタビューに答える人たちがいる。概ね佐々木投手の将来のことを考えたら、良かったんではないかと。ダラダラ生きてきた人間が開明的な意見を述べる。



アメリカ流の起用法など、日本の高校野球には必要ない。合理性からは、人生の奇跡はおきない。限界に挑戦する精神、忍耐、根性が高校野球を通じて人間を作るのだ。

1000球投げて、腕よちぎれろ!

高校野球はプロ予備軍ではない。名投手、名選手でプロに進まなかった球児はいくらでもいる。ほとんどの球児が、夏の大会を終えて、営業に励むのである。



佐々木投手は世界を舞台にして今後活躍する選手になる兆しは感じていた。

しかし、夏の過酷な戦いを逃したことで、凡百のただ球が速いだけの投手になりさがったような気がする。

高校野球は日本精神を培う装置なのだ。

高校野球はたんなるスポーツではない。偉大なる文化なのだ。

100年の時間をかけて先人たちが育て上げた日本の宝なのだ。

アメリカかぶれに、日本の心を汚されてはならない。
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