若狭勝 インタビュー全文

東京五輪

インタビュアー:
胸の方に東京五輪のバッジがあって。

若狭氏:
これはやはり2020年の東京オリンピック,パラリンピックを
安全, 安心の中で成功裏に, 最大イベントを展開したいという強い想いとしてつけております。

インタビュアー:
なるほど。私たち学生からしてもオリンピックはすごく身近な出来事だと思っていて,それに日本全体で取り組んで行けるとすごく未来に明るいことだとおもっていてとても嬉しいです。

若狭氏:
東京オリンピックは
私が小学生くらいの時に、そのとき自分の子ども心の中で非常にオリンピックというものに対して強い感動を覚えた。
小学校の時におそらくオリンピックの素晴らしさを実感しまして、すごく大きな力をもらったような気がしまして。

ですから今度2020年に東京オリンピック,パラリンピックをするということで
お子さん,子どもらが,私が最初に抱いたような感じで,
感動を覚えて日本がひとつになっていくというのをぜひとも成功裏に安心,安全の中で行いたいとおもっています。

インタビュアー:
その時の印象的だった選手やスポーツの競技はありますか?

若狭氏:
体操かなにかで、「ウルトラC」だとかがありました。それこそ家の中ででんぐり返ししながらウルトラCだウルトラCだと騒いで楽しんだ
(学校含め)ほとんどオリンピック一色でみんなが共通の話題としてオリンピックの競技,選手に憧れて,感動をみんなが子どもながらにも感じていた。

インタビュアー:
ぼくたちの5年後も、そういう未来が待っているかもしれませんね。

若狭氏:
ですから、若い人に同じような感動を味わって頂きたい。

少期・学生時代

インタビュアー:
若狭さんの昔の小・中・高時代はどのような学生生活を送られたかに興味があるのですが,どんな学生でしたか?

若狭氏:
生まれて育ったのは東京の下町。当時から学校内で暴力沙汰が起きるくらいの荒れた学校だったんです。
その中で自分は学級委員長という立場にあったわけです。
学校の教室の中で, ナイフで刺したとか刺されたとか。すごい状態でした。

私は、学級委員長やりながら板挟みになってまして。
いじめられっこといじめるほうの板挟みの形になっていて。
学級委員長であるわけですからそういうことを止めさせなきゃ行けないんではないかという想いをずっと抱きながら,悶々として学校に通うと。

「学級委員を辞職します」という辞表をカバンの中に入れながら毎日学校に通ったという覚えがあります。

自分のそういう時に、率先して止めさせなきゃいけないんじゃないかという想いも反面、自分の恐さもある。そういう板挟み。
自分の中の心の葛藤。中学生の時でしたけど葛藤を抱きながら。
それがいわば今、いろんな考えを抱くにあたって非常に大きな基盤になっているとおもいます。

インタビュアー:
1969年,1970年ですよね?

若狭氏:
中学生というと56年ですから…69年,1970年そのへんですね。

インタビュアー:
周りの不良というと今と違ってストレートの人も多かったんですかね。

若狭氏:
今のいじめもすごいとおもうのですが、(いじめの)はしりみたいなもので。
いわば、せっかく私が技術の時間につくった文鎮や本立てみたいなものがつくってもうすぐ完成だという段階で誰かが盗んでなくなっていたというのがありましたけれども。
インタビュアー:
特攻服みたいな そういうのを想像します。

若狭氏:
かなり荒れてたと思います。金八先生とかTVでやっていましたけども。足立区の学校でしたから。ああいうところの走りです。(金八先生の)現実版。

インタビュアー:
周りの子達からすると学級委員だった人が 国会議員になってしまった
学級委員が国会議員になってしまったという感じですよね?同窓会などで、すごい出世したねとか言われますか?

若狭氏:
でも、ほとんど幼なじみは普通の感じですね。
私の父親はその足立区で零細工場を経営していた。中小企業の経営者が
抱く汗、喜び,哀しみを小さい時から、目の当たりにして育ってきた。
自分の人生の中で大きな基盤を形作っているとおもう。

インタビュアー:
お父さんが経営者だったということですかね?

若狭氏:
ほとんど零細の工場でいわゆる蹴飛ばしとかプレスとかガッチャンガッチャンと足で踏んでものをつくるという(ことをやっていた)。
そうした数人くらいの工場をやっていて、自分も小さい時にそれを手伝ったりして汗を流しながら、父の背中を見ながら自分も汗を流して という思い出があります。
少なくともひたすら汗を流して働くという姿が 強い印象です。

法学を志した経緯

インタビュアー:
小中高と進んで行って、大学を選ばれると思うのですが、その時に法学部を選ばれたと思うのですが、なぜ法学にしようとお考えになったのですか?

若狭氏:
医学部にも行きたいなと思ったのですが、最終的には医学部よりも法学部。
いろんな広がり。広がりがある。選択肢があるということで法学部を選びました。

少なくとも入学の時に こういう形で法律家になっているとかいう想いを抱いていたわけではないんです。

インタビュアー:
最初、医学部と法学部という迷いがあったと思うのですが、医学部がチョイスとしてあったのは、今までの経験の中で何かあったのですか?

若狭氏:
やはり人を助けるという意味では一番ヴィジュアルな仕事だなという想いがありました。

検事を選んだ経緯・検事時代

インタビュアー:
弁護士と検事2つある。その時に弁護士ではなく検事を選ばれた理由が気になると思ったのですが、それはなぜでしょうか。

若狭氏:
冤罪事件というのに興味があって。実際に検事とか弁護士になる前に、ある冤罪事件と思われる事件に相当深く関与していたことがありまして。その上で 冤罪事件というのが一番 不正義というか。正義にもとる という想いを抱きまして。とすれば
冤罪事件をなくすためにはどうしたらいいか というのを考えていくと
起訴するかどうか あやしい証拠がはっきりしないものについては起訴しないという選択肢を以てそれを実現する事が出来るのが検事であって。
それが冤罪を防ぐ非常に大きな力になるというところから検事を目指したんです。

インタビュアー:
そこも何か正義感というところですね。小学,中学,高校で培ってきた学級委員長としての正義感みたいなところですかね。

若狭氏:
そうですね。

インタビュアー:
耳にしたところ、日本には弁護士がたくさんいる一方で、検事になろうとおもっている人は少ないと伺ったのですが、その状況についてどう思われますか。

若狭氏:
検事は、一番法律家としても能力をのばすところだと思います。
ですから、最終的に弁護士になる ということではあるにせよ、まずは検事になって事実の見方や評価というものをそれこそ自分の能力を高めるためには一番 適しているフィールドだと思います。なので検事にみんななった方が良いと思います。

インタビュアー:
冤罪を正すために検事になりたいと思ったんですよね。東京地方裁判所の調度オウムの傾聴をみてきたのですが、その事件もすごく印象的で。被告人の言葉など突き刺さるものがあったんですけれども 今までご担当された中で一番印象的だったのはどんなものがありますか?

若狭氏:
私は検事でも、いろんな職種についていて、まさしくオウムのところなども関わっていたところ。自分の部下の奥様が強盗事件で殺されてしまったとか。
東京地方裁判所のすぐ脇で殺されているとかという事件を扱って来たんですけども、すべてにおいて言えるのは人の一生はどうなるものかわからない。

朝、奥さんに「行ってくるよ」といって普通に家を出て
そしたら帰る時には、冷たくなっている(亡くなっている)。というのをまざまざと私の目で目の当たりにすると 人間の一生ははかないものだ。という想いを非常に抱く。そういう検事,弁護士時代を過ごしてきました。

インタビュアー:
その中でも強く今でも覚えているというのはありますか?

若狭氏:
潜水艦なだしお というのが第一富士丸というのに衝突して 漁船に乗っていた人23名が 海の底でなくなられたという事案があったのですが
突然と死に至る。
事故, 事件はどこで何が起きるかわからない。そういうのを目の当たりにしていくと逆に,自分 人の一生 一時一時を大事にしなければいけない。
しっかりと行きて行かなきゃいけないという強い想いを強くさせました。

インタビュアー:
裁判の傍聴をしていると どうしても疑ってかからなければいけないので、そういうシーンをみていると、検事の人は人間不信になってしまうのではないかと。実際に担当していて、常に無表情だったり…どんな心境ですか?

若狭氏:
検事も取り調べの前、起訴するかどうかの段階は非常に「人間愛」人に対してあたたかい目でみないと,本当の意味の検事にはなれないというのが持論。
ですから、人間の弱さの中で、その人間をどうしたら今後、立ち直らせることができるかという想いをもって接しないと。
頭からこの人は悪い事をした人間だ 自分たちとは関係ない人間だと思った段階でおそらく、相手方の人は心を閉ざしてしまうと。そうではなく、この人のために自分が何をできるか。立ち直る為には何が出来るか。ひとつの「愛」のようなものを持ちながら仕事をすると検事の仕事は本当に面白い。

裁判の時の検事は「役割」を演じている。冷たそうに追求調にいうのは役割分担。弁護人がついているとの対比。冷たい感じがするのはそういうせい。
検事の仲間を右も左も観ると、アツい人たちが多い。

インタビュアー:
検事のお仕事、カッコいいですね。ぼくたちはそういうイメージをなかなか持ててなかったのですが当事者のお話をきくと、カッコいいですね。
検事へのあこがれは小さい時からちょっとずつあったのですか?

若狭氏:
本当は刑事弁護をしたかったんです冤罪も含めて。検事は冤罪を防ぐためには非常に大きな力があると思った。一度検事になると意義深さ,やりがいを感じて結局 26年間検事をやり通したということですね。

検事から弁護士への転換

若狭氏:
検事としてどういう過ごし方をしてきたのか ということが
問われるというか、現れてくる。
私は,どちらかというと検事を止めた後はいろいろとマスコミやTVに出ていたことが多いので、止検というよりも ひとつの検事の姿というか法的な問題というか
優しく理解してもらおうという想いでマスコミの浸透をさせて頂いた次第なので
止検と呼ばれても構いませんけれども、止検だからマイナスだとかイメージだとか思った事はまったくないです。

TV・メディアに出演して思うこと

インタビュアー:
メディア不振が広まる中で、実際に出演されている側で、ここをもう少し言いたかったなというのはあったのでしょうか?

若狭氏:
少なくても生で出ていると時間(尺)が限られているので言い足りない。言いつくしたい事が良い足りないことがあるので、誤解を生んでしまうのではないかというのは多々ありましたし、
VTRの場合は自分が述べたことのごくしか実際一部しか使われないのでそういう意味では 若干自分の意図とは違うような放送の仕方だなというのは何度か感じた事はあります。

インタビュアー:
TVというメディアに対して、若狭さんは信用に足る物だと思いますか?

若狭氏:
少なくとも地上派のTV離れがおきているのは思います。
若者を中心として、自分がみたい,興味があるものをアクセスしていけるネットの方が今の若い人の生活感覚にあっているとおもう。
逆にTVというと いろんなことがニュースにしてもバラエティにしてもかなり混在一点しているのがあるので 何を知りたいか、何を求めているか すぐさま出てこない。という部分が TV, 地上波なんかも今後は考えなければいけないことだとは思います。

趣味・乗馬について

インタビュアー:
乗馬を趣味にされていると拝見したのですが,なぜ馬にたどり着いたのですか?

若狭氏:
元々大型バイク ハーレーに乗っていたのです。乗り物が好きなんです。
馬というのは、本当に、自分でもっている事はもっているんです。馬を身近に観ていると、いろんな学ぶべき物が多いんです。
たとえばですね、「馬鹿」ってありますよね。馬ってある意味馬鹿なんです。自分の名前を覚えない。
競馬馬でオーナーが変わると名前も変わるんですが、全くとんちゃくない。一度 自分の名前を呼ばれて振り向けば、犬のように振り向けば、もっと最大のかわいさがでてくるんですけれども、名前を呼ばれても自分の事かわからないという意味では馬鹿なんです。
逆に、痛い目をしたとかいう意味での記憶力とかそういうのがすごくあるんです。

なでたりなんかすると馬もなでてくると。ほおずりしてくるとか。そういう意味のセラピー的なところもあるし。なおかつ馬をみてるとですね、馬ってそもそも草食動物であって何か物音がすると自分に対しての攻撃だと思うんです。
馬はマイナス思考の固なんです。ですから馬を観ていると 人間という物が草食動物ですから所詮最初は、人間もマイナス思考だということがわかるんです。

だからよく私が部下やなんかで相談にこられて 「誰々さんから
お前のマイナス思考が悪いんだよ」とよく言われるんですけど という相談を受けた際に、この話しをするんです。「そもそも馬はマイナス思考」「人間も草食動物だからマイナス思考」マイナス思考が出発点だと。だからいくら俺はプラス思考だといってる人間であっても、所詮みなマイナス思考なんです。マイナス思考でなければ生きられないんです。
そういうようなことを馬を通してわかっていくんです。

「たまとり」というのがあるんです。
雄の馬が、春先になると雌馬をみるとどうしても興奮するんで、雄のたまをとるんです。たまをとる。施術というのにぼくは立ち会うんです。
獣医が筋弛緩剤というのを打つんですけれども、筋弛緩剤の量が多くても少なくてもダメなんです。

ちょうど良い量を打つとすぐに馬が腹ばえに横たわるんです。
獣医がメスをうってまたがってそして、放り投げた後に ぽんぽん と肩を叩くと 起き上がるんです。
それが筋弛緩剤が少ないと、メスを入れた時に大暴れしますし、逆に
多いと、ぽんぽんとたたいても起き上がらない。そのまま。
そのままで 最初の頃は自分が雄だと思っているから 興奮するんですけども
期間が経ってくると、雌馬をみてもどうのこうのというのがなくなるんです。
それも、馬をみていてそういう特異な体験として。
馬はかわいいですね。

蹴られますね。後ろから。マイナス思考の固まりですから。

若者の施策に関して

インタビュアー:
若者に対しての政策もすでにありますがもし若狭さんが今後(政策を)つくれるとなった場合、若者のための対策を考えてらっしゃる事はありますか?

若狭氏:
少なくとも、若者も含めて、国民の人って自分のことに関心のある、自分のところに火の粉がくる、自分に不利益なことに対してだと興味を抱かざるを得なくなる。今、国会とか政治でどういうことが、どういうふうに自分にフィードバックしてくるか。それほどみんな関心をもっていない状態だとわからないことだらけだと思うんです。
そこをうまく、こういう問題は、こういう形で巡り巡ってくるとこういうふうにこういう部分に相当関係してきますよだとか。わかりやすく、openにして、周知徹底すれば、それぞれ分野は違うんですけれど、ある分野に興味を持って、
政治を身近に感じ出すとか。そういうような展開をしていく必要はあると思います。

インタビュアー:
若者独特の問題がたくさんあると思っていて。 貧困というのもありますし、ひきこもったりしている人とかもあると思うんですが、独特の問題に対してどうお考えですか。

若狭氏:
結局、我々も若者だったこともあるわけですから。
時代によって変わってくる若者の問題もあるとは思うのですが、
そうじゃなくて。我々が若者の時に思って来た問題というのがずっと未だに残っていることもあると思うんです。
そういうのをきちんと区別して。最近の若者の特有の問題というのはなんなのか。
もともと若者が描く問題・課題はなんなのかをもうちょっと区別した方がいいとおもいます。

新司法制度について

インタビュアー:
新司法制度について教えて下さい。

若狭氏:
私ももう少し研究したい所なんですが、日本の法社会をもっともっと根底,基盤から強くするには、弁護士は仕事の領域を拡大した上で、数はある程度いたほうがよいと私はおもうんです。

これはいろんな考え方があります。
例えば私の今の政策司書は弁護士なんです。
ですから、政策司書が国会議員についてその政策司書が弁護士だとなると、弁護士の職域は広がるんです。

弁護士だからこそいろいろできることがあると思うんです。
昔ながらの弁護士の仕事に限定すると、弁護士の数は過ぎてしまっているというのはあるかもしれないですけれど、
会社の中に入って、法的な考え方や何かをいろんな形で広げる,普及するとかの意味で考えると、開拓すれば、弁護士の仕事は増えるのではないかという想いはありますね。

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