2016年8月17日 日経「風見鶏」 吉野直也氏「『ヒール』路線正念場」

日経の「風見鶏」に吉野直也氏が「『ヒール』路線正念場」を書いている。

「11月の米大統領選の共和党候補、不動産王ドナルド・トランプ氏(70)の世論調査の支持率が急落し、民主党候補、ヒラリー・クリントン前国務長官(68)に引き離されている。暴言を連発し、前例や常識を覆してきたが、米兵士の遺族への誹謗中傷をきっかけに空気が一変した。米メディアには大統領選撤退説まで飛び交う始末だ。

『(武器所有の権利を認める)憲法修正第2条を支持する人には手段があるかもしれない』。トランプ氏は9日の集会で、銃規制強化を主張するクリントン氏への対抗を呼びかけた。米メディアの一部は『暗殺を示唆した』と報じ、クリントン陣営は『危険な発言だ』と反発した。

トランプ氏の政治姿勢は、米プロレスの『悪玉』と酷似する。米プロレスはベビーフェースと呼ばれる『善玉』レスラーと、ヒールといわれる『悪玉』レスラーに分かれ、試合をする。悪玉は反則を多用し、レフェリーへの暴行、挑発行為を駆使し、善玉をいたぶる。勧善懲悪を望む観客は、最終的に善玉が悪玉に勝てば、留飲を下げる。

善玉を快く思っていない観客は、悪玉が一時的であれ、善玉をやり込める場面に歓喜する。観客はリング上と自らの置かれた境遇を重ね合わせ、感情移入する。プロレスにかかわり、実際にリングに上がった経験があるトランプ氏は、観客の心理を熟知し、大統領選に巧みに利用してきた。

共和党予備選で主流派を、本選はクリントン氏をそれぞれ善玉に見立てて、自らが悪玉として攻撃しているのである。トランプ氏の支持者の中核である中低所得者層の白人男性は経済格差に苦しむ。既成政治とトランプ氏の関係を善玉と悪玉の図式でとらえ、トランプ氏に自己投影しているのだ。予備選でこの悪玉路線は奏功した。

米国に限らず、悪玉のレッテルを貼られた政治家はいる。いま再び注目を集める田中角栄元首相。高等教育を受けずに首相の座にまで駆け上がったことから『今太閣』ともてはやされた。一方で金脈問題で首相を退陣した後、田中派を率い、キングメーカーとして院政を敷くと『闇将軍』とたたかれた。

その田中元首相の薫陶を受けた小沢一郎氏(現、生活の党共同代表)は、細川政権、民主党政権の樹立で自民党を下野させ、『陰の実力者』『壊し屋』との異名を取った。田中、小沢両氏の場合、その権力への畏怖と反発が悪玉をイメージさせる呼称につながった。

『2つのうちの1つを手放さねばならないときには、慕われるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である』。イタリア・ルネサンス期の政治思想家、マキャベリは『君主論』で、君主の気質についてこう喝破した。

多数を制して現実を動かす政治の世界にあって、悪玉と恐れられるのは負の要因ばかりではない。君主論に従えば、トランプ氏の悪玉路線は規格外というより、一種の安全策を取ったとみることもできる。

ただマキャベリは『慕われないままでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない』とも付け加えた。ここに政治の難しさとトランプ氏がぶつかる壁がある。

トランプ氏が誹謗中傷した米兵の遺族は『ゴールド・スター・ファミリー』と称され、米国人にとって最高の『愛国心の象徴』と考えられている存在だ。トランプ氏はそれを冒?したと受け止められ、恐れられるどころか、党派を超えて憎まれてしまった。大統領選まで残り3カ月弱。トランプ氏の悪玉路線は正念場を迎えている」。

11月の米大統領選の共和党候補トランプ氏の支持率が急落している。米兵士の遺族への誹謗中傷を契機に空気が一変したからである。党派を超えて憎しみの対象となった。トランプ氏の悪玉路線は頓挫せざるを得ない。

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