荒井聡 インタビュー全文

政治家の仕事

インタビュアー:
ではよろしくお願いいたします。すみません、お忙しい時期にこういう形になってしまって。やはり議員さんの日常が、なかなか僕たち一般の学生からはなかなか想像しにくいのですが、具体的にお仕事の内容とかって、毎日どんなことがメインでされているんですか。

荒井聡氏:
皆さん方、国会議員の仕事ってなんだと思う?あるいは、国会議員の職場ってどこにあるっていうふう想像する?

インタビュアー:
真っ先に思い浮かべるのが、国会ですよね。

荒井聡氏:
国会。国会って何やるところだろう?

インタビュアー:
法律を決める。

荒井聡氏:
そう。僕らの仕事は法律を作ることなんだよね。あるいは政府が法律の原案を作って、その法律が本当に妥当かどうかチェックすることなんですよ。それが国会議員のメインの仕事、最大の仕事ですね。それが予算に反映されたり、あるいは新しく総理大臣が誕生しようとするときには、どの総理大臣が一番適切かっていうことを判断する、それが国会議員の最大の仕事ですよね。そうすると自分が作りたい法律とか、自分が作りたい制度、それが社会に大きな影響を与える制度であったりするわけだけれども、それにいつも関心をもつ、あるいは、それを磨いていくということが日常活動ですよね。法律を作るための準備をずっとしていくっていうのが、僕らの日常活動です。そのことが地域に自分を選んでくれた選挙民にうまく伝わっているかどうかってなるともう一つ別の仕事なんだけど、その伝える仕事っていうのも必要なんだけどね。

インタビュアー:
あらい先生が今までお作りになられた法律とかはあるんですか。

荒井聡氏:
たくさんありますね。私は国会議員の中でも、随分法律に携わってきた人間の一人なので。例えば介護保険制度っていう若い人にはあんまり、、、

インタビュアー:
2000年あたりですよね?

荒井聡氏:
そうそう。介護保険制度の制度立案っていうのは、私がやったものなのね。それからあのときもう一つ、戦後問題。戦後50年の問題があって、今から20年くらい前になるんだけど、村山談話とか不戦の誓いのドラフト会議をやったんですね。それで各党が閣議決定やったのも、私の仕事だったですね。

インタビュアー:
それでは文章を実際にお作りになったりとかは。

荒井聡氏:
法律書きますから、僕ら、実際。全部細かいところまで書けないけれども。用法とか容量っていうのは私達が書く。

インタビュアー:
よく市民の人とかニュースを見るときに、例えば前回の特定秘密保護法案とかでも一文にものすごいたくさんの意味が込められたりしてるじゃないですか。そういうときにあらい先生もお考えになって書いたりするんですか。

荒井聡氏:
考えますね。戦後50年の村山談話のときには、日本が侵略とか植民地っていう言葉をいれるかいれないかで大激論したんですね。あるいが介護保険の制度では、何歳以上介護保険に参加しなければならないか、普通の制度って、成人したら国の制度もあれば、国民健康保険なんかそうだけれども、20歳以上になったら、学生の人は参加するっていうのが一般的なわけだけれども、あれは親を面倒みなきゃ、それは社会的に面倒をみるっていう制度だから、親の面倒を見るのってある程度歳とってからだから、40歳以上が参加することにしようよってことで、40歳にしたとかね。そういうポイントのところはものすごい議論しながら、やっていく。

インタビュアー:
なるほど。その一文が違うだけで社会ががらっと変わる。

荒井聡氏:
変わるよ。あのとき40歳じゃなくて、20歳って書いてたら、あなたたちも払わないとだめだったんだよ。

インタビュアー:
そうですよね。それを決定するときってどういうこう、自分一人で決められるような問題ではない。

荒井聡氏:
いやもうみんなでやる。やっぱり議論しないとだめだから、で自分がこうだと思っても、反対だっていう人の方が多ければ、国会通らないわけですからね。たくさんの人と議論しながら、議論戦わして、どの形がいいかっていうのを、それを決めていくんですけれどもね。

インタビュアー:
その決定プロセスってすごく興味があるんですけど、

荒井聡氏:
それは政治の現場に入らないとわからないかもしれない。見えないかもしれないね。だから国会議員ってみなさんが思っている以上にものすごい勉強家ですよ。朝の8時前、7時くらいから、前言った朝食会っていっていろんな人たちに来てもらって話を聞いたり、あるいは地元の人たちからこの制度の、例えば、介護保険だったら、介護保険に携わっている人たちが、今どういう悩みを抱えているか、それがうまく機能しているかどうか、そういうものを絶えずチェックしていくっていう、そういうことをやるわけなんだけど。

休日の過ごし方

インタビュアー:
そういった中で、例えばなかなかお休みのときとかってないと思うんですけど、実際忙しいですよね。

荒井聡氏:
そうですね。でも僕はね、スポーツとか昔から好きで、学生のときからスポーツやってたから、今テニスをやっているんですね。これはもう昔からやってたことですから。だいたい土曜日日曜日は地元に帰るでしょ。地元のテニスの好きな人が集まってくれて、夜の9時から11時くらいまで、そこしか時間空いてないから、普段はずっと会合だったり、会食があったりして、だいたい8時くらいまであるものだから、夜の9時から集まってくれて、それでテニスを楽しんでますね。

地元・支援者との関わり方

インタビュアー:
毎週北海道に戻られているんですか。

荒井聡氏:
毎週戻ってますね。

インタビュアー:
なかなか一般の人たちって地元に戻られるっていう動きとか知らないと思うんですけど、やっぱり北海道、地元でも活動っていうのが拠点になるわけですよね。

荒井聡氏:
そうですよね。自分が何をやっているか、こういう考え方を持っていますということを、自分の選挙民に知らせることも私の大きな仕事ですから、今回7月、8月、9月と3カ月くらいに渡って、30か所行って、今の集団的自衛権問題とかあるいは の問題とか、そういうことをずっと1か所1時間半くらいかけて、選挙民にそういうことをやりつづけたんですね。

インタビュアー:
その中に若い人たちとかって参加されていますか。

荒井聡氏:
若い人も時々いるんですけれどもね、概して、一般的にはあんまりいないよね。僕がよく若い人たちにいうんだけれども、今の日本が決められたのは、大きな法律、例えば年金制度だとかは、太平洋戦争のときに決まったんですよ。それからあるいは国家公務員の制度だとか、それから税制の制度だとか、サラリーマンになると源泉徴収っていってサラリーマンの給料の中から税金の分がひかれていますよね。そういうシステムっていうのは、戦後のマッカーサーが来たときに、マッカーサーが決めたっていうものなんですよね。だから戦前とか戦後に決められたものが、今の社会を形づくっているわけですよね。

私たちが決めようとしていることは、は20年、30年多分続く、もつなっていうものを、結果的には、あなたたちの世代に影響を与えるわけですよ。今回の例えば集団的自衛権の話だとか、あるいは税制の話だったり、消費税あげるかあげないかっていう、それも全て現実の問題として、非常に大きな問題をなってくるのは、20年後、30年後の人たちのあなたたちの世代になって、「30年後、ばかなあらいがこんなこと決めやがって。」ってそういうことになりかねないのが政治ですよね。そういうふうにならせないために、今まだ政治家ではないけれども、若い人たちがたえずチェックしていないとだめだ。っていうことだよね。でチェックの仕方は選挙が1番なんだけれども、選挙っていうのは結果だから、その結果のためにたえず見張ってないとだめだよね。そういうことが非常におろそかになってる。

若い人たちがね。これはね、あんまりいいことではないですよ。誰を選んでは、政治は変わらないし、同じだっていってたら、本当に変わらないっていうか悪くなっていくね。悪くなっていくんで、そうではなくて、たえずこの社会がどっちの方向に向くのか、どの政治家がそれをリードしていくのかっていうのを、たえず見ていくっていう訓練をしないとだめだと思うのね。アメリカやヨーロッパっていうのは、実際の政治教育は非常に深く入りこんでいるんだけれども、日本は戦前の反省もあって、大学生も含めて、あんまり政治や、あるいは宗教も含めてだけれども、そういうことについて教えたがらないよね。

それは世界的に見たら、非常に特異な国だと思いますよ。その辺は。たぶんあまりいいことではないんだと思いますよ。

こんな若者が面白い

そういうなかでも、先日の沖縄知事選でも、沖縄商学高校あたりで、模擬選挙みたいのが行われていて、実際の今回当選されたおながさんではなく、しもじさんが当選されたっていう結果があったりしたんですけど、そんな中で現在弱くはあるんですけど、ドットジェーピーだとか、あるいは学生団体なんだけれども、政治を扱っているものだとかあったりするんですけれども、そういった中であらい先生の周りに集まってくる若者の中でこの人面白いなとか、面白いことやっているなっていう動きはあったりしますか。

荒井聡氏:
個別にはあれですけれども、ドットジェーピーを北海道導入するとき私がやったんですね。ドットジェーピーの何人かが政治家になるのに後押ししたものが何人もいますしね。それから私のうんと若いころ、政治家になる前だけれども、北海道の大きなフェスティバルであるよさこいソーランっていうお祭りを作った人がいるんです、そのときの中心になったのが、長谷川っていって自民党の参議院議員をやってますけね。そういう感じの付き合いというか、そういう感じの若い世代の政治家っていうのは私の周り
に何人も育ってきていますよ。ドットジェーピーの山口かつた君っていう女性ですけれども、その子は私の事務所にインターンできて、そのまま札幌市会議員ですけれど、政令指定都市の市会議員でドットジェーピーの第一号じゃないかな。やりたいっていうんで、よしやってみろって言って、シングルマザーを売り物にして選挙戦ってますけどね。来年の春の選挙でね、3期目ですよ。結構ベテランの位置に達する政治家になろうとしていますよ。

インタビュアー:
若い人たちも探せば、道はあるんですね。政治家になる。

荒井聡氏:
挑戦しなければ、なりませんけどね。私は一人の政治家がカバーできる世代っていうのは、本当の意味で心情が分かるっていうのは上下10年ずつくらいだと思うんですよね。ただ、例えば私は40のときに政治家になったんだけれども、そのときにカバーできる支援者っていうのは、若い人で30代前半くらい、で上の人だと60代前半の人くらいの世代の人を代表するというか、よくわかる。ところがさっき言ったように今の大きな課題っていうのは、20代に人たちが将来被るであろう影響、それを代弁しないといけないんだよね。となると、30代前半の人が政治家になってどんどんでてくるようでないと、そこをカバーできないんだよねって思うんだよね。

ネット選挙と公報

インタビュアー:
あらい先生がネット選挙で考えられている戦略とかあったりしますか。

被インタビュー:僕はあんまりネット使わないんでね。うちの事務所の若い連中がネットが好きだっていうか。ネット選挙っていうのは、使い方によってはとっても面白いなっていう風には思うんだけれども、ネットに非常に敏感な人っていうのは、あんまり外にたがらない人だよね。テレビの画面の中でクリックしているような人なので、もっとやっぱり外にでて、人と接しないとだめだよね。

人と人とのコミュニケーションは慶応大学で、ブラックジャパン、コミュニケーションの専門の会社だけれども、それでも記念行事でやったんだけれども、政治っていうのはコミュニケーションなんですよね。たしかにインターネットもコミュニケーションのツールの一つではあるんだけれども、本当のコミュニケーションは人と人とが会話するってことですよ。フェイストゥーフェイスで。最後にビジネスもそうだけれども、決定的な瞬間がくるのは、相手とのフェイストゥーフェイスでの決着の仕方ですよね。

そういうものをもっと大事にしないと、政治のクオリティーもあがっていかないし、若い人たちが本当に育っていくことにならないと、僕は思うんだよ。

インタビュアー:
じゃあ、ちなみに、あらい先生はスマートフォンとか使われていますか。

荒井聡氏:
使ってますけどね。

インタビュアー:
本当ですか。

荒井聡氏:
使える使えないって言ったら別だけどね。

インタビュアー:
若い人たちがよく使うラインとかってご存知ですか。

荒井聡氏:
ラインは知ってるけど、使ってない。

インタビュアー:
あっ本当ですか。

荒井聡氏:
フェイスブックくらい。

インタビュアー:
フェイスブックは記事投稿されたりしていますか。

荒井聡氏:
してるよ。

インタビュアー:
ちょっと一般市民から気になるのは、例えば民主党内のラインとかあったらどうなるのかなと。

荒井聡氏:
あーそこまでは僕は知らないな。

学生時代

インタビュアー:
あらい先生の若い頃の話っていうのも先ほどでたと思うんですけれども、当時の時代感覚と今とで全然違うと思うんですけれど、どんな学生時代を送られたんですか。

荒井聡氏:
僕は中学校のときにね、ものすごく足が速かったんんですよ。札幌で記録を持っていたから。100とか200とか。

それで高校に入ったときに僕の進学した高校が陸上大会で全国大会にでることになったんですよ。800mで1人200mで4人走るんだけれども、それで4人目の学生の記録が私が中学校のとき作った記録に及ばなかったんですよ。

当時僕200m24秒フラットくらいで走ったんですね。もう50年くらい前の話ですけどね。当時tもなければ、スパイクもなければ、スパイクはいている子もいないような、そういう時代で。

インタビュアー:
100mですとだいたい何秒くらいなんですか。

荒井聡氏:
100mで11秒7くらいで走ったんですよ。当時ね。それで学校の先生から体育の陸上クラブの先生からインターハイにだしてやるから、優勝クラブに入いって言われたわけ。それからあんまり体が強くなかったもんで、それ断ったんですよ。インターハイにでるの。インターハイっていうのは野球でいえば甲子園のことだから、甲子園にだしてやるっていうのを断ったのと同じことになるんだよね。

それがずっと心残りでして、この間同窓会でね、その先生が同窓会に来てくれて、もう80いくつだったんですけど。それで「あらい君」って言ってね、で「先生あの時はごめんなさい。あれから今でも後悔しているんです、あんな大きなチャンスだったのに、断ってしまって本当に申し訳ないです」と。私は迷ったときは進むっていうのをモットーにしているんです。

私はいくつかの人生で、こう決断のとき、最大の決断のときは選挙にでるかどうか、政治家になるかどうかっていうことだったと思うんだけど、そのときも迷ったときには、あの時を思い出して、いこうって思うことにしたんですよ。って話をしたら、その先生すごく喜んでくれてね。政治家あらいは俺が作ったんだねって言ってね。

インタビュアー:
実際そうなんですもんね。

荒井聡氏:
そうなんですよ。もうひとつね、私の父は私が小学校6年生のときに死んでるんです。教育者だったもんだから、近くの国立の中学校に入る受験勉強をさせられていたんですよ。そんなに成績が悪くなかったから、受験してたら、入れてたと思うんだけれども、ちょうど受験日のその日が私父が亡くなって、葬式の日だったんですよ。それでその中学には行くのを諦めて、近くの中学に行ったんですね。

その中学で家内と会ったんですよ。だから人生っていうのは、親父が亡くなったのは、人生にとってもっとも深い悲しみなわけですよね、だけど伴侶を見つけられるっていうのも最大のプラス要因だからね。それが裏表のように人生ってあるんだと。だからどんな悲しいこと、苦しいこと、つらいことでも、その裏には必ず明日があるんだと。基本的に僕楽観主義者なのでね。そういう人生経験を若いころにしたんだよね。

インタビュアー:
じゃあ、中学生の頃に出会った、

荒井聡氏:
出会ったのが、家内です。ずっと続いているんです。

選挙と支援者

インタビュアー:
あらい先生が国会議員になりたいってことを奥さまにお話しされたとき、どんな、

荒井聡氏:
大反対。離婚するって騒がれたよね。

でもそれを選挙っていうのは、政治家っていうのは、選挙に勝つためには、最大の支援者軍を作らなくてはならないでしょ。応援してくれる人たちを作らないと。その最大の応援者っていうのは、家族なんですよ。もっとも厳しいハードルが女房なんですよね。

だから女房が説得できないようだったら、政治家になる資格ないと。ここにも何人も政治家になりたいって言ってくる人いるんだけれども、そのときにお前女房説得できているのかって、まだできていませんって。女房も説得できないなら、お願いしますって言って、はい、そうですかって言ってやってくれるわけないよって。まず女房説得してこいって言ってね。追い返すよね。

諦めてそのまま政治家になる者もいれば、だいたい奥さんっていうのは、政治家になるなんて言ったら、大転身ですからね。それで普通、ちゃんとしたサラリーマンとか、やっている人たちだから、その所得の道がなくなるわけですからね。みんなやっぱり子供抱えてどうしようかってね、絶対反対ってだいたいだよね。

インタビュアー:
そうですよね。

よさこいソーラン

インタビュアー:
先ほどお話にでたよさこいソーラン、僕もすごい感銘を受けたんですけど、そのときあらい先生まだ、、、
いろんなたくさんのエピソードあると思うんですけれど、印象に残っているエピソードをいくつかまたお話いただけないかなと思いまして。

荒井聡氏:
あれは、長谷川っていう非常に熱意のある男が一生懸命作ったんだけど。普通は彼大学生で、私の部屋に飛び込んできたんですけれどもね。

なんで高知のお祭りを札幌でやりたいんだって聞いたら、彼はこう答えたんですよね。自分のお母さんが小樽の人なんだけれども、がんの末期で、それで高知に入院したんですよね。それで長谷川君の兄貴が高知医大でインターンやってたんで、この病院にすればいつも息子と会えるからってことで高知に入院して、その夏休みに長谷川くんが北大学生だったんだけれども、高知に行って、お見舞いに行ったんですよ。

それでお見舞いに行って、お母さんと一緒見たお祭りが、よさこいで、高知のよさこい祭りで、そのよさこい祭りを見ながらお母さんが、私のような重病人が見ても、このお祭りで元気がでるねって。そのときまだお母さん生きていたんだけれども、あとないってときに、ぜひお母さんの故郷の北海道でこの会祭りをやりたい、母親のような元気をつける必要のある人にみてもらいたいっていう話をしてきたのね。私も直前に母親が死んでたもんだから、男が母親の話をするってことは普通は恥ずかしくて言えないんだよね。

それをそういう風に言ったもんだから、よし分かったって言って、応援をした。そのときの最大のネックは札幌で大通りを占拠してパレードするわけだから、普通は警察はイエスって言わないんですよ。それで僕は道警の警察に友達がいたもんだから、なんとかしてやってくれよって言っても、これはいくらあらいの要請でもこれはできないって、大学生が中心になったお祭りなんてそんなもん認めるわけにいかないと。

なんかないのかって言ったら、お祭りっていって申請してきたらそれは許可できないけれだも、デモ行進っていって申請してきたら、表現の自由だから反対できないんだよねって、デモ隊でいくから、、、最初の1回目と2回目はデモ行進ってことにして、それで定着してから、お祭りとして申請して、北海道を代表するお祭りになったと。最初のデモ行進の話っていうのは以外と知らないよね。

よりよい北海道構想

インタビュアー:
北海道が地元の選挙区ってで、よく聞かれることかもしれないですけど。例えば、北海道おきまえに戻ったじゃないですか。北海道が独立してもいいのでかないかとか、道州制になったりですとか。先生が個人的に思う北海道がよりよくなるために、どういう構想があったりするんですか?

荒井聡氏:
北海道の住民を1人1人勉強して調査して自覚をして、自分が1人でいいから1つでいいから何かやってずつやってみるっていう。北海道の場合の強みっていうのは、農業とエネルギーにあるんですよ。このエネルギーと農業の中に1つでも良いから自分で、なにかを作ってみる。探してみる。

あの道州制とか北海道独立とかっていうそんなでっかいことやってもね、実現できるとは思えないし、またそれがプラスになるとは限らない。例えば道州制ってことでいけば、北海道っていうのは過去に3つの県が合わさって北海道になったんです。だから道州制を日本で1番初めに実現したのが北海道なんですよ。でもその北海道が道にはなったけれども、それが必ずしも活用されて、他の地域より進歩的になってっていうそれはそうではない。

だから道州制の議論っていうのは、なにか今までとこう違うことをやれば、違う仕組みすればうまくいくって思うのは、それはイージーすぎると思うんだよね。それよりエネルギーだったら風力発電をやってみるとか、なんとかやってみるとか、地熱発電やってみるとか、他にもそういう可能性たくさんありますから、そういう一つを自分でも見つけていく。

それをまっすぐにやっていけば、大きなエネルギーになっていくってことだよね。

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