サッカーが好きになれない、いくつかの理由(わけ)

2018年7月18日 高野育郎 - グループアム代表 -
あまり好きではないスポーツの部類に入るサッカーをよく見る。国際試合だからだろう。ワールドカップもようやく終わってくれた。予選突破のベスト16。上出来だ。

さて、なぜあまり好きではないのか。サッカー以外のスポーツは、なんらかの心を揺さぶられるものを感じたりするものだが、ことサッカーは、ただの一度もない。

ラフプレー・シュミレーションに見られるように痛くもないのに、大げさにグラウンドを転がりまくる選手たちにウンザリする。このあたりは、ま、あまり日本選手には、該当しないような気もするが。日本選手には常に冷静にラフプレーに巻き込まれても、ペナルティなど狙わないようにあって欲しい。

以前、宝飾ブランドのブルガリ社のニコラ・ブルガリ氏と会った時に、つい、イタリア人ゆえに、サッカーの話題を出したところ、怪訝な顔をされてしまった。曰く「俺にサッカーの話題乗れというのか」という調子。ようは、スポーツの話題なら、テニスや乗馬、ヨットの話なら、付き合うぜということだった。これもまた鼻持ちならないといえばそれまでだが、ブルーカラーのスポーツの話題は、あえて、お前としなくてもいいだろうということだった。

こういう逆襲はめったにないことだが、妙に納得したものだった。考えて見るに、空き缶蹴っているうちにサッカーを覚えるというような実にフェアな環境から、スタートするようなスポーツだと改めて考えた次第。

世界中にこれだけ、圧倒的に拡散したスポーツは、それだけ貧困層の下支えがあって成立するのだろう。

生きるか死ぬか、サッカーで夢を掴むといった選手たちを相手に、日本選手は闘えるのか?

フェアなプレーを目指して、天下を取れるなら、それに越したことはないが。
いかんせん、日本にはフェアなプレーで勝てるほど技術はないと見る。早く、王侯貴族のプレーに徹して、勝利を掴むまでになって欲しいものだ。
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