2014年6月9日 東京 社説「危機打開へ農協の決断は」

「JA全中廃止」
東京の社説に「危機打開へ農協の決断は」が書かれている。

「有島武郎が北海道の農地を小作人に解放する決断をしたのは90年以上前の大正時代のことでした。農協も今、生まれ変わる決断を迫られています。

大正の初めに文芸雑誌「白樺」を中心に活躍した人道主義的な作家のひとりが有島武郎です。明治維新後の農業を振り返ると、地租改正などの改革をへて農地の自由な取引が進み、経済の好不況の波の中で農村は大地主と小作人とに分かれていきました。所有しながら自らは耕作しない『不在地主』から農地を借りる小作人は、農作物の大半を地主に納め、貧富の格差は広がりました。

<実現した有島の理想>
1922(大正11)年7月、有島は旧薩摩藩士で大蔵官僚だった父親から引き継いだ北海道狩太村(現ニセコ町)の農地450ヘクタールを、土地共有という形でしたが、小作人に無償で解放しました。農民たちは解放の意味をよくつかめないながらも、地主に年貢を納めなくてよくなることを理解し、喜んだといいます。

ただ有島の人道的な決断は広がらず、その後も農地の集中は進みます。太平洋戦争の始まった41年には全耕地の半分近くが小作地でした。農家の3割が耕地を全く持たない純小作農で、半小作農も含めると7割に達しました。

日本の農業が新たな出発点に立つのは1945年8月の敗戦です。米国の占領下、連合国軍総司令部(GHQ)は財閥解体、女性参政権など民主化に取り組みました。そのひとつが農地改革、農地解放でした。46年から48年にかけてGHQが実施した農地改革では、総農家戸数600万戸の7割にあたる430万農家の小作地が自作地となり、地主制は一掃されました。小作人のほとんどが苦境から解放されて自作農となり、経済的な基盤ができたのです。

農地改革は占領下で最も成功した改革とされ、戦後の民主的な社会の土台にもなりました。有島の理想が現実になったわけです。国民主権となった日本で、農地を所有する自作農となった農家は身を守るために結束します。

<固まった鉄の三角形>
48年にできた農協は、JA全中(全国農業協同組合中央会)を司令塔に選挙で自民党の長期政権を支え、自民党は農家の利益を守るため政府、農林省を動かします。農林省は政策を進める組織として農協を使い、農林官僚は農業団体に天下っていきました。

農協、自民党、農林省による『鉄の三角形』が固まります。経済の高度成長と米価の安定で農家は豊かになり、農協の海外旅行が話題になる黄金時代でした。

しかし今、あらためて農業の厳しい現実に目を向けないわけにはいきません。米国の市場開放圧力が続く中、農家の高齢化と後継者不足、遊休農地や耕作放棄地の増加は止まる気配が見えません。

危機感を抱いた政府の規制改革会議は5月、改革案を出しました。柱は農家が互選で委員になり運営してきた農業委員会と、農協の司令塔である全中の解体です。農地の利用を集約化して規模を拡大し、企業の参入を促し、地域農協に独自の活動を認めて農業を活性化するのが狙いです。

この案に農業委員会や全中は『企業による農地所有の解禁が真の狙いだ』『農協全体の解体につながる』と反発しています。

企業は資本も人材も技術も圧倒的な力を持っています。農地所有に道を開けば、農地が企業に集中し、戦後の農地改革で手にした基盤を失うことになるのではないか。全中が一律指導してきた地域農協が独自の工夫で競争すると、脱落する農協や農家が出てくるのではないか-戦前の苦難の記憶から、不安を抱くのは自然のことかもしれません。

企業や若者の間で広がる格差が深刻化する中、横並びで落後者を出すまいとする全中の姿勢は、共感を呼ぶ面もあります。しかし規制改革会議は『農地利用の集約化、新規参入の促進、耕作放棄地の発生防止と解消の最後のチャンスだ』と強調します。

<農家のための改革を>
欧米も含め、多くの国が農業を保護しています。ただ、ここで保護に甘んじて改革しなければ農業そのものの土台が崩れ、多くが自作農となった戦後の農地改革の成果さえ失いかねません。そうなれば十分な農地が確保できず、食料自給率がさらに低下して、食料の安全保障も揺らぎます。

政府は改革案を6月中にまとめます。どうしたら地域農協や農家に役立ち、農業に活力を呼び戻せる組織に生まれ変われるのか。『解体』を突きつけられている全中は、改革案に反論するだけでなく、自ら具体策を示し、危機打開を決断する時ではないでしょうか」。

社説に結語である「政府は改革案を6月中にまとめます。どうしたら地域農協や農家に役立ち、農業に活力を呼び戻せる組織に生まれ変われるのか。『解体』を突きつけられている全中は、改革案に反論するだけではなく、自ら具体策を示し、危機打開を決断する時ではないでしょうか」は、正論である。

問題は、農協の司令塔である全中が、危機打開の具体策を出せないことである。全中の存在こそが、危機の元凶だからである。危機打開の具体策とは、全中の廃止しかないからである。全国約700の地域農協の経営の自由化が、危機打開の唯一の具体策だからである。全中の指導権限廃止ありきである。その根拠である農協法の改正が全てである。そもそも全国約700の地域農協が、「JA越前たけふ」の全国化に賛成しているのだから、勝負あったのである。JA全中廃止は決まりである。

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