2018年1月19日 東京 社説「脱原発基本法案」「丁寧な議論あってこそ」

「国難の秋、9条改正こそが喫緊の課題」

東京の社説に「脱原発基本法案」「丁寧な議論あってこそ」が書かれている。

「小泉純一郎元首相らが顧問を務める『原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟』の脱原発法案は、原子力政策のあいまいさに投じる一石だ。あいまいさを払拭するには国会での丁寧な議論が欠かせない。

原自連の『原発ゼロ・自然エネルギー基本法案』は、運転されている原発の即時停止、再稼働、新増設の禁止をうたい、2050年までに電力を100%自然エネルギーで賄う目標を明示した。

22日に召集される通常国会に超党派で提案できるよう、与野党を問わず、働き掛けを始めている。

法案作成の第一の狙いは、脱原発、省エネ推進を改めて国会の議論の俎上にのせて、さらには国民的議論を巻き起こし、その声を引き出すことにあるという。

原発に関する国の姿勢は、3・11を経てなお、あいまいだ。

政府は『原発への依存を可能な限り低減させる』と言いながら、原発をいまだ『重要なベースロード電源』と位置付けており、30年時点で電力の20~22%を原発に依存する方針だ。

今年はエネルギー基本計画改定年。有識者会議が3月をめどに見直し案をまとめているものの、原子力の位置付けが大きく変わる様子はない。国の方針があいまいだから事業者も原発からの撤退を躊躇する。安全対策に膨大な費用がかかり、自然エネルギーに回るべき資金が回らない。パリ協定をてこにエネルギー大転換が加速する、世界の流れに取り残されることになる。

そもそも原発推進に関しては、あいまいなことが多すぎる。原発の法定寿命は40年。2割強の依存を続けるためには、相当数の新増設が必要だ。どこに、どうやって造るのか。国民がそれを許すのか。

3・11から7年。再稼働は、なし崩し的に進んできた。だが誰も安全を保証するとは言っていない。核のごみをどうするか。国民の過半が反対する中で、なぜ国は推進の旗を降ろさないのか。

国会で丁寧な議論を重ね、国民の疑問に答え、あいまいさをぬぐい去らないと、私たちは未来のエネルギーを選べない。

原自連だけではない。立憲民主党の『原発ゼロ基本法案』、原子力市民委員会の『原発ゼロ社会への道2017』など、年末から新年にかけて、国際社会の流れに沿った具体的提案が相次いだ。真正面の議論に期待して、国会を見守りたい」。

社説の主旨である「丁寧な議論あってこそ」に異論がある。原自連の「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」は、改憲潰しの野党共闘の旗印に利用される。そもそも法案提出の秋ではないことである。2020年までに改憲施行目指す安倍晋三首相が、本格的議論に応じることは皆無である。安倍政権倒閣運動になるのは必然だからである。

問題は、脱原発が喫緊の課題であるのか否か、である。国難の秋である今,喫緊の課題は、9条に自衛隊明記をの9条改正である。緊迫する北東アジア情勢を直視すれば明らかである。9条改正の是非の「丁寧な議論あってこそ」然るべきである。脱原発基本法案は、2021年以降のポスト安倍政権で再提出をとなるが。

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