2018年1月3日 産経「阿比留瑠比の極言御免」「朝日は『言葉のチカラ』信じぬのか」

産経の「阿比留瑠比の極言御免」に「朝日は『言葉のチカラ』信じぬのか」が書かれている。

「『言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを』

朝日新聞はかつて『ジャーナリスト宣言』と称する宣伝キャンペーンを展開し、新聞、テレビ、ラジオなどでこう強調していた。それが今では、信じているのは『言葉のチカラ』、つまり言論ではなく、司法となってしまったようだ。

朝日が文芸評論家の小川榮太郎氏の著書をめぐり同氏らを相手取って計5千万円の損害賠償訴訟を起こした件である。

報道・言論機関である大新聞が自らへの批判に対し、言論に言論で対抗することもせず、あっさりと裁判所へと駆け込む。何という痛々しくもみっともない自己否定だろうか。

小川氏は朝日の抗議に対し、5日付で丁寧な回答を送っていた。これについて朝日は、7日付朝刊に『回答の内容は承服できません』などと書いたのみで、25日に訴えてきた。

それも、出版社も含めてとはいえ、巨額な5千万円という賠償請求をである。そのやり方からは、ジャーナリスト集団の矜持のかけらもうかがえない。小川氏らの言論活動を封じるためには、手段を選んでいられないということか。しかも小川氏は5日付の回答に『一個人を恫喝するのではなく、言論には言論で勝負していただきたい』と記し、正面から論戦を挑んでいた。朝日は紙面でいくらでも反論できるにもかかわらず、その挑戦を無視した。そして、圧倒的な資金力を背景に戦いの場を司法に移すというのだから、なりふり構わぬ姿に唖然とする。

徳島文理大の八幡和郎教授は27日、インターネット上の言論プラットフォーム『アゴラ』にこう書いた。『名誉を回復したいということが目的でなく、(中略)個人や弱小出版社などが、朝日新聞を始めとするマスメディア集団を批判すること自体をやめさせようとすることが狙いとしか合理的には理解できない』

同感である。大手メディアによるこんな振る舞いが常態化すれば、日本の自由な言論空間は閉ざされていくことだろう。軽視していい問題ではない。

一方、朝日は26日付朝刊で千葉光宏・執行役員広報担当のこんなコメントを載せていた。『(小川氏の著書は)言論の自由の限度を超えています。建設的な言論空間を維持・発展させていくためにも、こうしたやり方は許されるべきではありません。やむを得ず裁判でこの本の誤りを明らかにするしかないと判断しました』

朝日は慰安婦報道をはじめ、自分たちが好き放題に報じてきたこと、やってきたことを振り返り、本当に恥じ入ることなくそう言えるのだろうか」。

朝日が小川氏の著書を巡り、同氏と出版社も含めて計5000万円の損害賠償訴訟を起こしたが、「フェイクニュース」ではないとの決定的反証を提示できないからだ。安倍晋三首相が関与したとの証拠がである。司法に駆け込んだ時点で朝日の負けである。

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