2017年8月3日 日経「風見鶏」に「日中それぞれのカレンダー」

日経の「風見鶏」に「日中それぞれのカレンダー」が書かれている。

「中国共産党が第1回党大会を開いたれんが造りの建物は、上海のかつてフランス租界だった地域の一角に立つ。1921年7月、ここに毛沢東ら13人の代表がひそかに集まり、党の綱領を起草した。

官憲の影におびえながら、激しい議論をたたかわせたに違いない。いまは記念館になったその場所を訪れると、テーブルを囲んで口角泡を飛ばす彼らのブロンズ像が飾られていた。

意外だったのは、うち4人が日本への留学を経験していたことだ。共産党という党名自体、元をたどれば日本語である。のちに中国の運命を変える政党は、日本との深いかかわりのなかで産声を上げた。

それから96年。共産党は今秋、19回目の党大会を開く。発足時に50人ほどだった党員は、9千万人近くに膨らんだ。党大会で習近平総書記(国家主席)は、華々しく2期目のスタートを宣言するはずだ。

党大会の前には必ず不気味な政治事件が起こる。

5年前には、重慶市トップだった薄熙来氏が失脚した。今回も同じく重慶市のトップを務めた孫政才氏が24日に摘発され、当局の取り調べを受けている。

習氏は激しい権力闘争をへて、1強体制を固めつつある。『彼の視線はすでに党大会より先の2021年を向いている』。多くの党関係者はこう指摘する。

21年とは、党の創立100周年を指す。1840年のアヘン戦争に始まった屈辱の歴史に終止符を打ち、そこそこゆとりのある『小康社会』を実現する。その偉業をなし遂げた共産党の最高指導者として、習氏は歴史に自らの名を刻むつもりだろう。

歴史に名を残したいという欲求は、政治家の本能かもしれない。安倍晋三首相が5月に『2020年の新憲法施行』を明言したとき、改めてそう思った。

首相の発言を受け、永田町にはすぐに『安倍カレンダー』なるものが広まった。この秋に自民党が憲法改正案を国会に提出し、来年の通常国会で改憲を発議する。その後に改憲を問う国民投票を実施する、というスケジュールだ。

2日の東京都議選で自民党が惨敗し、状況は一変した。不祥事が続き、内閣の支持率は急落している。

首相はこれまで『いつでも解散するぞ』と思わせて求心力を高めてきた。衆院議員はいつクビになるかわからない。だから、常に首相の顔色をうかがわなければならなかった。

しかし、その手はもう使えない。解散すると、改憲の発議に必要な3分の2の議席を保てなくなるからだ。改憲日程を明示したため、首相は自分で自分の首を絞めてしまった。

習氏のカレンダーはどうか。共産党の創立100周年を迎える21年の次に来るのは、まちがいなく翌22年の第20回党大会だ。

本来なら習氏はここで2期10年の任期を終える。しかし後継候補だった孫氏のクビをさっさと切り、毛沢東と同じ『党主席』への就任をちらつかせて長期政権への意欲を隠さない。習政権がいつまで続くかわからないから、党内の不満分子は声を上げられない。

選挙のない中国だからこそ組めるカレンダーだが、死角はないのか。北京の外交官は『あるとすれば経済の異変だ』と話す。

習氏が描くスケジュールは、たしかに経済の安定成長を前提にしている。仮に経済が大混乱に陥れば、党内の不満分子はたちまちうごめき出す。党大会に向けて景気をふかしてきた反動もあり、そのリスクは高まっているようにみえる。習氏のカレンダーも、やはり万能ではない」。

安倍晋三首相のカレンンダーは、18年9月以降の衆院選と国民投票のダブル選が焦点となる、一方習主席のカレンダーは、22年の党大会までが2期10年の任期となるが、経済の異変が焦点となる。18年、19年のバブル崩壊か、である。

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